インターハイの陸上400mで優勝した 青木 りんさん 市内南町在住 18歳
凛と生きる
○…相洋高陸上部に入ってすぐの記録会において、チームで最もタイムの悪かった少女が、全国の頂点にまで登りつめた。陸上生活の中で「表彰台の1番上に立つときが幸せ」と語るスプリンターは、「支えてくれる人がいたからこそ今がある。恩返しができたかな」と恩師や仲間、レースを見守った家族らへ感謝の念を口にした。
○…小学生時代は、三の丸FCでサッカー選手としてプレー。自信のあった走りで勝負しようと、城山中では陸上部へ。全国大会で準決勝まで進んだ。高校野球のマネージャーにも憧れたが、可能性を見い出し、学校へ出向いてくれた相洋高・銭谷満顧問のもとで、再び走ることを決めた。
○…とはいえ強豪校、入部後は周りについていくだけで精一杯だった。試合前は大好きなスイーツを封印し、唐揚げは衣を剥いで食べた。サッカーで培ったスタミナと中学で学んだ競技への姿勢に、技術が加わり、徐々に頭角を現していく。2年時のインターハイで3位に入り、優勝を視野に捉えた今年の春先、足首の捻挫で初めて走れない時間を過ごした。しかし、そこで真の強さを発揮。十分に走れないにも関わらず、朝練は普段より30分早く行き筋力アップに取り組んだ。苦しいときこそ人一倍努力したことが、最後のインターハイで実を結んだ。
○…陸上部部長を務め、学業はオール5を獲ることも。寝る前には「語彙や知識が得られるのがいい」と読書を欠かさない。しっかり者かと思いきや、マイペースな一面も。遠征時にホテルの鍵を持ったまま出かけ、先に戻った先輩たちを待たせて怒られた。また、走れば最速だが「歩くのが遅くて」と苦笑いを浮かべ、縦列で歩く際は後ろにまわされることもあったほどだ。
○…「世界で最も好き」という自身の名前は、凛々しい人になってほしいと両親が付けた。その想いを胸に刻み、「凛と生きていきたい」と微笑んだ。
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