タウンレポート 南足柄市の石碑に刻まれた明治時代の"忠犬物語" 足柄史談会が文化財展で発表
南足柄市竹松の大松寺(曹洞宗、岩澤郁雄住職)に「老犬多摩の墓」がある。由来がはっきりしていなかったこの”多摩(たま)”に関する史実がこのほど、足柄史談会(押田洋二会長、会員300人)の調査により明らかになった。
きっかけは、南足柄市やその周辺の郷土史を研究している同会が、市民文化祭(11/5・6日開催)に参加した『文化財展』だった。
「今回の文化財展では北足柄と福沢地区の寺々をテーマに12か寺を紹介しました。大松寺さんでは石造物・老犬多摩の墓のレプリカを制作して展示しようと、8月頃から準備を始めたのです」。押田さんは取り組みのいきさつを説明する。
墓石には表と裏に文字が彫られていたが、時代を経て判読が難しくなっていた。レプリカにこの石造物の表裏の漢字の文字も同じように再現するため、会員の小沢勇一さんが拓本を担当。文字の解読と解説は元厚木高校校長の小宮悖さん(塚原在住)に依頼した。数日後に小宮さんからその結果が届いたとき、「昭和初期の”忠犬ハチ公”は有名な話だが、それ以前の明治時代にこのような話があったとは…」と会員らは石碑に刻まれていた内容に大変驚いたという。
石碑正面の文字は「老犬多摩墓 如是畜生歸依三寳 發菩提心」〔解読=是れ(正に)畜生の三寳に歸依し菩提心を発するが如し/解説=これは本当に畜生(犬)が仏の教えを信じ、仏の道を求める心を持ったと云える〕とあり、裏面には犬の略歴が彫られていた。
「明治11年の話から始まっています。当時三山参りというのがあり、富士山、大雄山、大山を巡っていたようです。武蔵野国南部の多摩郡に住んでいた人が、富士山に登った帰路に犬を連れて大雄山に詣でたところ、犬は足の疲労で一緒に歩けなくなり、犬を大雄山に預かってもらった。犬は寺の衆のおかげで足がよくなり、主人の家に帰したのですが、当時の山主の畔上禅師が、『寺の警備をよくしてくれた』と称え、その犬に子ができればもらい受けて飼いたいと伝えたのです。その翌年、子犬を背負って馬でやってきた。寺の衆は皆子犬を可愛がったが、なかでも橘氏(和尚)が熱心に育て、橘氏の自宅(大松寺)に犬が行き、日夜離れることなく氏や内外の警備を行ったようです」。 犬は橘和尚の身辺を警護し名犬ぶりを発揮したが、和尚が亡くなった直後に命が途絶えた。
略歴の最後には「獣歟非獣 人歟非人 信忠勝人」〔解説=獣は獣なんだが 獣でない時がある。人は人なんだが人でない時もある その(犬の)信頼と忠誠の心は人に勝っている〕とあり、犬の戒名は『信忠玉犬』と記されていた。
押田さんは「当時の時代背景や世相などを考えると、動物とのこれほどの心温まる交流の話しはあまりないのではないか。個人主義が進んでいる今の社会へのメッセージがあるように感じる」と話す。
史談会では今回の展示でこのレプリカをはじめ、特別展示した明治35年の「小田原大海嘯(かいしょう)」の絵巻物(個人所有、初公開)が大きな反響を呼んだことから、小田原や足柄の郷土史を研究するグループにも声をかけ、来年春ごろに共催による県西地区での巡回展を計画している。
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催しいっぱいセンター祭り4月20日 |
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