神社は一般的に南向きか東向きが多いという。しかし、天津(あまつ)神社(秦野市堀西766)はなぜか西向き。近所に住む岩田宇一さん(73)は、この謎に迫るため研究を重ね、一つの仮説を導き出した。
天津神社は堀西の波多川地区の氏神。『秦野風土記 世間話と信仰(上)』(岩田与一/1985年)には、棟札に宝永元年の記載があったと記されている。西側は四十八瀬川に向かう斜面で、階段がある。岩田さんは「階段を上がり境内に至る参道は神社の厳かな風格を感じられる。しかし、氏子となる家々は神社の裏にあたる東や南側にあり、なぜ神社が西向きなのか不思議に思っていた」という。
2016年2月、岩田さんは方位磁石を手に天津神社へ。すると正面は真西より15度南に向いていた。春分の日と秋分の日は太陽が真東から真西に沈むことから、岩田さんはこの2つの時期に注目。さらに、天津神社は明治維新以前に「第六天社」と呼ばれていたことから、「第六天は、織田信長が深く信仰していた他化自在天(たけじざいてん)のこと。天津神社は仏教と関係しているのでは」と考えた。仏教では、夕方に西方浄土(極楽浄土)に繋がるという考えがあり、春分と秋分の夕日に秘密があるのでは、と仮説を立てた。
2016年3月、岩田さんは彼岸の2週間前から毎日、夕暮れ時に神社へ足を運んだ。すると境内から西を見たときに、鳥居の近くを夕日が通ると気づく。そして、3月14日の午後4時55分頃、本殿から西を見ると、夕日は鳥居の中心を通り、四十八瀬川の対岸にある稜線へ消えていった。「ちょうど雲が切れ、夕日が鳥居に入って沈むまでを見た。その数分間は日差しが本殿の中まで差し込んでいた」と岩田さんは振り返る。
その後も観察を続け、春分の日の1週間前の午後4時55分頃と、秋分の日の1週間後の午後4時30分頃に毎年同じ光景を見ることができたことから、岩田さんは「創建当時の先人たちは、仏教思想に見られる西方浄土からの光明を彼岸の時期の夕日に重ね、ご祭神と西方浄土が光明で繋がるよう仕掛けを施したのではないか」という仮説を立てた。「稜線の高さ、鳥居の高さ、本殿までの距離の3条件が揃って見える現象。今年の秋は9月29日(土)に見られると思います」と岩田さんは話す。
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