元秦野市立南が丘中学校や西中学校の校長で秦野市教育委員会委員長や大学教授などを務めた望月國男さん(渋沢在住・77歳)が、故郷、山梨県南巨摩郡身延町西嶋の偉人、笠井重治の生涯を辿った本を5月に出版した。
望月さんは1943(昭和18)年に山梨県南巨摩郡身延町西嶋西町に生まれた。高校卒業の18歳までこの地で過ごした。大学入学とともに故郷を離れ、卒業後は秦野市で公立中学校の英語の教諭となった。故郷を離れ、すでに50年近い月日が経っている。
望月さんは後期高齢者となる75歳を前に生まれ育った故郷に何か恩返しができないかと考え、郷土の偉人である笠井重治を思い出したという。「若い人は日米の平和・友好に尽力した笠井重治のことをあまり知らない。何とかその功績を若い人たちに知ってほしい」と『西嶋が生んだ偉人 笠井重治』(国際文献社)の出版を思いついたという。
笠井重治は1886(明治19)年に山梨県南巨摩郡中富町西島(現身延町)に生まれた。県立甲府中学校を卒業後、17歳でアメリカ・シアトルに遊学。ハイスクール時代には雄弁競争会で最高雄弁賞も受けている。シカゴ大学、ハーバード大学院を卒業後、外務省などで働いた。1936(昭和11)年、49歳の時に衆議院議員に当選。第2次世界大戦へ向かいつつあった日本で戦争回避のために努力した。戦時中は憲兵隊に連行されたこともあった。終戦の時には連合軍総司令官のマッカーサー元帥を訪問し、善政を要望したという。戦後も一貫して日米の友好親善に尽力して1985(昭和60)年に99年の生涯を閉じた。
望月さんは笠井重治の生涯を辿るのに3年半の歳月をかけた。一人娘の道子さん(72歳)への取材や資料収集など、目と耳と足を使って誠実に話を聞いたという。望月さんは「18年間お世話になった故郷に恩返しができれば。本は身延町に寄付する予定です」と話す。同書はA5版、161ページ。非売品となっているが、興味のある人は望月さん【携帯電話】090・5212・7732へ。
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