戻る

秦野 文化

公開日:2025.08.01

寺山からも出征者
武勝美さんの記憶

  • 荷札を持つ武さん

  • 道永塚に立つ桜の老木

 「寺山の圓通寺の墓地を巡れば、戦争で散華した兵士の墓碑をいくつも確認できる。当時の寺山は100戸ほどの集落だったけれど、戦死者は出ていた。戦争は身近なものだった」。そう語るのは、寺山で生まれ育った武勝美さん(88歳)だ。

 寺山と落合の境にある道永塚には、1本の桜の老木が立つ。この桜も出征者の関係があると武さんは話を続ける。「覚えている人も少なくなったけれど、駅から離れた寺山では出征者をこの桜の下で見送っていた。出征者と家族は、ここで会うのが最後と思っていたのでしょうね」

 太平洋戦争時、小学3年生だった武さんの家族も寺山から出征している。1945年3月、18歳になったばかりの武さんの叔父・務さんは召集を受け福山に向かった。同年8月6日の広島への原爆投下の際、福山が広島に近い地と知り「何としてでも無事でいてくれ、と家族全員で祈ったことをよく覚えている」と武さんは話す。

1枚の荷札

 戦争が終わり、務さんは無事に故郷へ帰ってきた。務さんゆかりの品として、武さんが差し出したのは木製の1枚の荷札だ。荷札には住所とともに「武力三郎殿」と宛名が書かれている。力三郎さんは武さんの祖父で、務さんの父にあたる人物だ。これは、務さんが出征する前に自身で用意したもの。戦死した際、遺骨・遺品が家族に届くよう、あらかじめ宛先を書いて準備しておく風習があったのだ。幸い、荷札は務さん自身が持ち帰ることができた。武さんは「叔父は自分の遺品を送る荷札の宛名を、どんな気持ちで書いたのだろう」と思いを馳せる。

ピックアップ

すべて見る

意見広告・議会報告

すべて見る

秦野 ローカルニュースの新着記事

秦野 ローカルニュースの記事を検索

コラム

コラム一覧

求人特集

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS