市内で活動する軟式野球チーム「茅ヶ崎ピースクラブ」が70周年を迎え、11月12日に記念祝賀会が行われた。単独のクラブチームとしては、全国でも数少ないという長年の歴史を持つ同クラブ。創始者・秋葉洋(ひろし)さん(84)や初期からのメンバーにこれまでの歩みや思いを聞いた。
「ピースクラブ」は、戦後間もない1947年に、次世代の青少年の健全な育成を目的として、当時中学2年生だった秋葉さんと父の暢(のぼる)さんによって設立。名前の「ピース」には「戦争の無い平和な世界を」という願いが込められた。
創立時は市内東海岸周辺に住む小・中学生16人が集まった。当初は充分な道具もなく、布製のグローブを使い、練習場所は旧日本軍の高射砲や戦車の残骸が残る東海岸の砂浜。それでも、戦後間もなく娯楽が少なかった少年たちは日が暮れるまで毎日野球に熱中し、大みそかに試合をしたこともあったという。結成当時小学生だった現監督の田中晴男さん(79)は「悪ガキの集まりだったね」と振り返る。
クラブの強みは「チームプレイ」。茅ヶ崎の社会人強豪チーム「カップス」や「佐藤組」を参考に、当時の少年野球としては珍しかったサインプレーや徹底したデータ収集などの戦略を取り入れた。海岸地区少年野球リーグで徐々に頭角を現し、51年には茅ヶ崎市大会で初優勝を収めるまでに成長。63年に市大会のAクラスで3年連続の優勝を飾った活躍を、顧問の長田聖(おさだきよし)さん(79)は「クラブの全盛期だった」と笑顔で話す。
創立48年を迎えた95年には「企業所属のチームなどを除き、長い歴史と実績を持つ単独のクラブチームとしては全国でも稀」という理由で、神奈川県から団体部門の推薦を受け、文部大臣賞を受賞した。
次世代へのバトン
メンバーが年齢を重ねるのに合わせて少年野球であったチームも壮年野球へと移り変わっていったピースクラブ。現在は20代から80代までの約30人が所属する。市内少年野球チームの監督やコーチとして少年野球の発展に貢献するメンバーもいるほか、過去には国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)に入団した坂巻豊選手や、東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団した嵯峨野昇選手などプロ選手も輩出している。
現在でもクラブが試合を行う際には、引退したメンバーが駆けつけて声援を送るなど、新旧問わず親睦を深めている。秋葉さんは「長く続けてこられたのは人間関係を大切にしてきたからだと思う。それは野球のチームワークを通して学んできた」と話した。
70周年を祝って
11月12日に開催された創立70周年記念祝賀会には、服部信明茅ヶ崎市長をはじめとする来賓も加わり約70人が出席した。親睦会も行われ、参加者は会場に展示された当時の写真を見ながら思い出話に花を咲かせた。
秋葉さんは「後世の青少年たちのためにも70年で終わることなく永続させ、微力ながら今後も野球を通じ地域社会へ貢献していきたい」と創始者としての思いを語った。
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