とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第65話 〜旅は命がけ・通行手形〜
手形には関所に提出する関所手形と、身分を証明するための往来手形があり、庶民の場合は住んでいる村の名主や大家という身近な人が発行しました。一般の男性は関所手形がなくても関所を通ることができましたが、関所でのチェックを簡単に済ませるため持っていることもありました。また往来手形を関所手形と兼用できるようにしたものもありました。
一方、女性は大名が江戸に置いた人質の逃亡を防止するため「出女」を検閲するため女手形が必要でした。江戸城の御留守居役が発行し、旅する女性の素性や、旅の目的・行き先を始め、髪型・顔・手足の特徴などが細かく記載されていて、記載内容と一致しなければ関所は通れませんでした。また武器を江戸方面へ運ぶときに必要とされた鉄砲手形というものもありました。
上矢部にある正福寺には同寺発行の往来手形が額に入り掲げられています。これによれば概要は「この者は我が寺の檀家で、神社仏閣にお参りにいきます/しかし悪さ・病死等があった場合はその土地の作法により、おとりなしをしてください/天保3年(1832)辰2月 相模国鎌倉郡上矢部村 正福寺 関所のお役人様 宿や村々の役人様」とあります。一般の旅人にとってある意味で旅は命がけのことで、普通は歩き、急ぎや病気のときだけ馬やかごを使いました。病気で死んだり、辻切りにあって殺されたりした人達の死体も、無縁仏として葬られることもあったようです。
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