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港南区・栄区 コラム

公開日:2026.06.25

大久保山 自性院 山本高寛住職 思い込みを、解きほぐす

  • 自性院境内の紫陽花

    自性院境内の紫陽花

  • 思い込みを、解きほぐす (写真2)

 梅雨もまだ半ばです。じめじめとした湿気と、汗ばむ蒸し暑さに、空も心もどこかすっきりと晴れない、そんな日が続きます。学校へ向かう子どもたちの足が重く、仕事に出る朝の気持ちも憂鬱になりがち、といった声を、この時期はよく耳にいたします。

 仏教では、本来物事や現象それ自体に、善悪や好悪といったものは無いと説きます。例えば、雨そのものに「鬱陶しい」という性質が備わっているわけではありません。ある人が雨を鬱陶しいと「嫌なもの」に感じている一方で、同じ雨を「恵みの雨」と喜び、「良かった」と感じる人や生物がいるのです。物事の好悪とは、あくまでその人の一面的な認識と捉え方から生じるものです。物事や現象に対し「良い」「悪い」というレッテルを貼っているのは、他ならぬ私たちの心なのです。

 ところが私たちは、つい「絶対にこうだ」と思い込み、さらに自分の作ったその「思い込み」に強くしがみついてしまいます。本当は、見方はいくつもあるのに、一度握りしめると、そこから離れられなくなってしまうのです。「嫌だ」も「こうあるべきだ」も自分が生み出し、執着しているものだと気づいた時、はじめて別の見方の余地が生まれます。とはいえ「思い込み」への執着は大変手強く、心が柔らかくなるには、とても長い時間がかかります。その手助けとなるのが人との関わりです。自分と違う多くの見方に触れることで、自分の偏りに気づくことができます。

 端的に言えば、私たちは皆、偏っているのです。偏っているからこそ、お互いに足りない何かを補い、語らい、支え合い、理解を深めていくことができるのです。

 すっきりしない空も、やがて移ろいます。一時の思い込みに執着せず、人と言葉を交わしながら、目の前の現実を多角的に見つめる心を持つことができれば、鬱陶しいはずの日々にも、心の糧となる気づきが見えてまいります。皆様の毎日が、学び多きものとなりますよう、心より祈念申し上げます。

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