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公開日:2025.06.12

横浜緑ケ丘高校が創立100周年
新体育館で記念式典

  • ▲式典が行われた新体育館。県立高校最大級の規模(旧体育館の2倍)を誇る広さで、柔剣道場や部室も併設されている

 中区本牧緑ケ丘の地で「緑高(りょっこう)」と親しまれてきた神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校(坂元久美子校長)。2023年に創立100周年を迎え、今年5月23日に記念式典が新体育館で行われた。当日の様子と、県内有数の伝統校の歴史を振り返る。

 記念式典は、3月に完成した新体育館のお披露目も兼ねて行われた。生徒、教職員、保護者、同窓生、近隣自治会町内会長や学校長ら約1100人が参加した。

 式典の第1部は厳かな雰囲気のなか、関係者あいさつ、来賓祝辞があり、生徒代表の生徒会総務部部長の西村穂高さん(3年)は「先輩方のように社会で活躍できる人材になれるよう学校生活を過ごしていきたい」と述べた。事業委員会の寄贈目録は、委員の直井ユカリ牧陵会(ぼくりょうかい)会長から学校に渡された。

 第2部は、有志生徒の司会進行、新旧「緑高生」による構成で、緑高100年を感じ、受け継ぐ願いが込められた。

 「緑高100年の歴史」は、卒業生・室井三紀さんの筑前琵琶弾き語り、有志生徒のナレーション、管弦楽部演奏、スライド写真とともに各時代の出来事と人々の思いを伝えた。

 「記念講演」は、卒業生・吉田智誉樹(ちよき)さん(劇団四季社長)が、高校などでの自身の経験を語り、現「緑高生」へエールを送った。質疑応答の内容も深く、在校生の心が動かされたことが見て取れた。

 生徒発表は、ダンス部と吹奏楽部が広い体育館フロアの左右をそれぞれ使い、華やかに行われた。式典のフィナーレへ向けて会場は盛り上がり、最後の校歌斉唱は、新旧「緑高生」の歌声が会場に満ちた。

 卒業生の一人は「素晴らしい式典。緑高生であることを誇りに思えた。こうして伝統が受け継がれるのだと感じた」と感動した様子で話した。

危機乗り越え 伝統受け継ぐ

 1923(大正12)年4月に、同校前身の「横浜第三中学校」が県立商工実習学校(現・商工高)の校舎でスタート。が、8月に火災で全焼。次に間借りした横浜第一中学校(現・希望ケ丘高)も9月の関東大震災で全壊。廃校の危機となったが、横浜第二中学校(現・横浜翠嵐高)に間借りした後、24(大正13)年12月、現在の本牧緑ケ丘の地に校舎が完成した。

 45(昭和20)年5月、横浜大空襲で校舎全焼。終戦後の12月、進駐軍が校地を全面接収。再びの廃校の危機に、学校・保護者・同窓生は米軍司令部に校地返還を繰り返し請願し、再び同地に木造校舎を建設した。48(昭和23)年、学制改革で「横浜第三高等学校」と改称。50(昭和25)年に「横浜緑ケ丘高等学校」と改称し、男女共学となった。

 初代校長・藤村与六が定めた校訓「三徳一誠」は、「正しい判断力をもち、人のために尽くし、おそれない心で、実践しやり遂げる。」の意。藤村が意匠した校章の三つの「中」は「偏りのない」意も示す。

 「後援三徳会」は開校間もなく立ち上げ。戦後、GHQのPTA設立指導もあったが、現在も同じ独自組織で、保護者らが緑高生の学びを支援している。

 現在「スーパーサイエンスハイスクール」「学力向上進学重点校」に指定される同校。校訓「三徳一誠」のもと、自他ともに尊重されるのびのびとした校風は、100年をかけて培われてきたものなのだ。

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