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保土ケ谷区 コラム

公開日:2026.03.19

「保土ケ谷区史」と歩く歴史の散歩道
第4回『保土ケ谷本陣』【2】 寄稿 金子宣治

  • 「保土ケ谷区史」と歩く歴史の散歩道 (写真1)

 保土ケ谷宿は、初代の苅部清兵衛から代々清兵衛を名乗り、地域住民の協力を得て、江戸時代初期から11代にわたって「本陣」「問屋」「名主」(町の行政一般を司り、納税や戸籍の事務などを行った)の3役を務めてきました。

 7代清兵衛吉一は、江戸深川の豪商(紀伊国屋文左衛門)の次男で、本陣の経済状況も厳しい折、6代目の娘婿として本陣に迎えられました。また、8代清兵衛悦相の時、永年勤続の功績により名字帯刀を許されました。10代、11代の清兵衛は、横浜開港の折、本陣役とともに横浜町の惣年寄に任命され、初期の横浜町の発展に尽力しました。なお、本陣が現在地に立地したのは、大名など高位な人物が宿泊する施設なので、防衛上のメリットを考え、北、西方面の見通しの良い現在地に立地したのでは…と考えられます。

 保土ケ谷本陣の建物は、数次の大火と大正12(1923)年の関東大震災により、昔の格式ある玄関、書院そして門構えなどの面影は残っていません。しかし、建坪は270坪と広大であり、東海道の本陣の中でも十指に入るほどで、また、部屋数も畳数も抜群でした(写真参照)。

 なお、本稿は、「本陣起立由緒書上帳」(軽部紘一氏所蔵)ほかを参考にしました。

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