戻る

鶴見区 コラム

公開日:2026.08.20

「土木事業者・吉田寅松」72 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

自動車殿堂入り

 吉田真太郎は、新橋にハイヤー業を創業したときのことをのちに述懐している。

 「敗残の将として最後の挑戦だったが、これもあまり成果はなかった。その頃にはもうハイヤー業者もたくさん出来ていて遅まきであったし、誘われて余儀なく取り掛かった仕事だったから油が乗らなかった。自分で運転までやって算盤が取れるように研究してみたが、結局採算はとれなかった。私は自動車界のような目まぐるしい仕事には向いていないことを悟った」

 自動車界での最後の挑戦にも敗れた真太郎は、自動車とは全く異なる世界、弟の鶴田勝三が所長をしている武蔵工務所の埼玉県秩父山工事現場の監督として数年間勤めた。大正十一年に神奈川県田方郡熱海町伊豆山の寓居に住み、大型の掘鑿機械を購入して温泉掘りを続けた。昭和六年六月二十六日、波乱に富んだその生涯に幕を閉じた。

 大正十五年春、伊豆山の寓居を訪問した雑誌記者に自動車界の風雲児吉田真太郎は語っている。

「伊豆山中に分け入り、温泉を掘り、地層を究める業に興味を持ち、別天地に住居して自然を友とする暮らしのお陰で、心身ともに健康そのものである」

 日本初の国産をつくり、日本で最初の運転手派遣業、自動車教授書作成、自動車教習所開設など、今日の車社会の基礎を築いた吉田真太郎に、平成二十三年、日本自動車殿堂(JAHFA)から「初の国産自動車『吉田式』の製作者」として、殿堂者の称号が贈られ、日本の自動車史にその名が深く刻まれた。

 明治三十八年に広島市の横川から可部までのでこぼこ道を走った、真太郎が造った日本初の国産乗合バス「かよこバス」は、先人たちのチャレンジ精神を伝えるものとして受け継がれている。平成十六年に復元され、横川駅前「かよこひろば」に展示されている。

コロナ禍で始まった連載

 令和二年四月七日、新型コロナウイルス感染症の拡大により、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の七都府県に緊急事態宣言が出された。これに伴い、十年近くつづけてきた郷土史講座「寺子屋あらかると」は中止せざるを得なくなった。すでに六十名以上の参加申し込みがあった。「コロナが収まったら再開します」と案内を出したが、感染状況は悪化するばかり。なかなかコロナは収まらないどころか、状況は悪化するばかり。外出もままならず、不安な日々がつづいた。

 そんな折、何か郷土史に関する情報を発信できないかと考えていたとき、たまたま開いた『京浜実業家名鑑』に「吉田寅松君」が目にとまった。

 「神奈川県橘樹郡旭村北寺尾の人、鶴田治兵衛氏の長子。つとに大志あり河村瑞軒、紀伊国屋文左衛門の性行を欽慕し、一大事業を起こして名を上げんことを期す。戊辰の年、東征の群に従い、兵器弾薬の請負をはじめとして、横浜全市の水運を完成し、滋賀県疎水の大工事に関係し、舞鶴軍港の敷地開鑿、官設私設を問わず全国十数の鉄道工事を竣工し、港湾の造築、道路の開通、橋梁の架設、我が国の大工事と称するものに君の手をからざるものは、ほとんど稀なり。

 横浜目抜きの地たる蓬莱、萬代、不老、翁、扇、寿、松蔭、吉濱の八ヶ町十万余坪は、三十年前には不潔の泥沼地たりしなり。この泥沼地を今日あるに至らしめたる者、実に君の力によると聞く。この泥沼の地、もと吉田勘兵衛、吉田常次郎両家の所有として、吉田新田と呼んでいたが、吉田家は君とその流れを同じくする者、君この埋立工事に関係するに及んで後、一門、君に勧めて一切の権利義務を君に委任することになった。

 この記事が私に吉田寅松の連載を始めさせた。

鶴見区 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

鶴見区 人気記事ランキング

  • 前日
  • 1週間
  • 1か月

ピックアップ

すべて見る

意見広告・議会報告

すべて見る

鶴見区 コラムの新着記事

鶴見区 コラムの記事を検索

コラム

コラム一覧

  • LINE
  • X
  • Facebook
  • youtube
  • RSS