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株式会社ムサシボウル 13日に「創業70周年」 渡邉会長、溝口の遍歴回顧

社会

掲載号:2020年10月9日号

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再開発前の溝口界隈の航空写真をみながら当時の様子を懐かしそうに語る渡邉一夫氏
再開発前の溝口界隈の航空写真をみながら当時の様子を懐かしそうに語る渡邉一夫氏

 娯楽やカルチャーを支えてきた地元企業の一つ「株式会社ムサシボウル」(渡邉正人 代表取締役社長)が、10月13日に創業70周年を迎える。同社の前社長で、現在は会長を務める渡邉一夫氏はこの間の社業沿革を振り返ると共に、再開発を経て大きな発展を遂げた溝口駅界隈の遍歴などについても回顧。自身の街づくりへの想いなどを語ってくれた。

当初は映画館

 株式会社ムサシボウルは1950年(昭和25年)、創立者で初代社長の渡邉豊作氏が、前身となる「溝口映画株式会社」を設立したのが発祥。当初は映画館として地元・溝口のほか、市内外に5つの直営館を抱えるなど大衆娯楽を牽引し、人気を博してきた。

 当時中学生だった渡邉一夫氏は、父の始めた映画館事業が瞬く間に拡大していった様子を「私も(新設映画館の工期が間に合わず)トイレのモルタル壁塗りを手伝わされたりしましてね」などと回顧。その後、社業の後継者となるまでに、上映作品の配給会社に勤めていたデスク(編集者)を伴侶に射止め、さらに有名評論家の淀川長治氏とも親交を深めるなど、映画界と縁深い仕事を続けてきた(映画館の事業は1990年に撤退)。

ブーム到来を予見

 また一方で1968年(昭和43年)には、ボウリングブームの到来を予見し「ムサシボウル」をオープン。一過性のブームが鎮静後、低迷期に入ってしまったこの頃のボウリング業界を支えるべく、日本ボウリング場協会の役員に就任。マスコミ露出機会の増加策などで手腕を発揮。人気の安定した現在のボウリング界の基礎を築き上げた。「江戸時代、日本に初めてボウリングが伝わったとされる6月22日を『ボウリングの日』に制定するため奔走しましたね」と笑顔を見せる。

再開発事業にも貢献

 前身企業から数えて70

年、2度にわたる大規模リニューアルを経て現在は「OKKA634(オッカムサシ)」としてボウリング事業などを手掛ける同社。沿革を振り返る上で大きな節目の一つとなった「溝口駅北口地区市街地再開発事業」においても、渡邉一夫氏はキーマンの一人として、167人にも及ぶ地権者と行政の橋渡し役などを担当。様々な利権が入り交じり、遅々として進まない話し合いを解決すべく組合をつくり、地元の名士などを招き「100日会議」を敢行するなど苦心を重ね、1997年に事業の象徴ともいえる再開発ビル「ノクティ」完成に至るまで長きにわたって尽力してきた。「皆で思い描いた溝口エリアの理想像のうち80%くらいは実現したのではないですかね」と語る口ぶりからは、愛着ある溝口の街づくりの一翼を担ってきた達成感が滲む。とりわけ再開発の成功要因としては「当時20社以上の応募があったキーテナントに『丸井』を選択した事ですね」と明言。百貨店等とは違い地域密着を標榜した丸井の企業姿勢が、ファミリー層に受け現在の溝口の繁栄に繋がっているのでは、と分析していた。

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