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公開日:2026.07.31

戦禍の記憶〜小林美年子さん(94/中原区小杉御殿町在住) 『海ゆかば』歌い迎えた英霊

  • 戦中の記憶を静かに語ってくれた小林さん

    戦中の記憶を静かに語ってくれた小林さん

聞きたくない歌『海ゆかば』と少女の葛藤

 川崎市中原区小杉御殿町にお住まいの小林美年子さん(94歳)には、今もなお胸の奥底にしまい込み、聞きたくないと感じている一曲の歌があります。その歌の名は『海ゆかば』です。

 『海ゆかば』は、太平洋戦争中、「準国歌」「第二の国歌」といわれるほど、熱狂的に国民、兵士に広く歌われていました。太平洋戦争の末期、当時まだ10代前半の少女であった小林さんは、かっぽう着に身を包んだ大人の女性たちに交じり、この歌を歌いながら駅に到着する英霊(戦死者)たちを出迎える役割を担っていました。

 「母の代わりに行かされたんです。何とも言えない悲しさと、この場にいたくないという嫌な気持ちがあふれ、心の中で激しく葛藤していました」

 幼い心に刻まれたその時の悲痛な感情と強い葛藤は、80年の歳月が流れた今なお、小林さんの心に深く残っています。

鶴見での暮らしと東京大空襲、愛川町田代への疎開

 小林さんは横浜市鶴見区で育ちました。戦況が著しく悪化していくにつれ、敵機の襲来を伝える空襲警報がたびたび街に響き渡るようになりました。夜間には、電球に風呂敷をかぶせて光が外部へ漏れないようにする「遮光」の措置を取りながら過酷な日々を過ごしていました。

 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の夜、自宅から東の空を見上げると、空全体が真っ赤に染まっているのが見えました。「ここにはもう住み続けられない」と痛感した小林さんは、母や妹とともに、親戚のいる愛甲郡愛川町田代へと避難(疎開)することを決めました。

疎開先でのあばら屋暮らしと自給自足の女学校生活

 疎開先において、小林さんたちは母屋から離れた場所にある「あばら屋」での生活を余儀なくされました。そこから厚木の女学校へと通いつつ、生きていくための完全な自給自足の生活を送りました。

 10代前半の少女でありながら肥桶を担いで畑仕事に精を出し、薪割りや、履き物となる「わら草履」も自ら編みました。田んぼで捕まえることができるイナゴは、当時の劣悪な食糧事情において貴重なたんぱく質であり、カルシウム源でした。夕暮れ時になると近くの川へと足を運び、アユを釣って食事の足しにしました。

 さらに、衣服の確保にも大変な苦労がありました。成長とともにサイズが合わなくなったセーターは、ほどいて糸に戻す際に、その編み方を一目ずつノートに書き留めました。そして誰に教わることもなく、自分で一から編み直して着回したのです。「こうしないと着るものがなかった」と小林さんは振り返ります。

 女学校の体育の授業では、なぎなたを使った訓練を受け、空襲時の消火活動を想定したバケツリレーの練習も重ねました。当時は周囲の誰もが、このような過酷な環境や訓練を「当然のこと」として受け入れていました。

大人たちの言葉――叔父の召集と近衛兵の従兄

 厳しい戦時下の状況において、身近な大人たちが発した言葉も小林さんの記憶に強く刻まれています。

 戦争が末期に差し掛かった頃、40歳に近い年齢の叔父のもとにまで召集令状(赤紙)が届きました。その際、叔父が「こんな歳の者が駆り出されるようでは日本は危ないな」と漏らした言葉を、小林さんははっきりと覚えています。また、皇室や宮城を守る近衛兵であった従兄までもが、「この戦争は負ける」と口にしていました。

 小林さんは「常識のある大人は知っていて、無謀な戦争だとわかっていたのでしょう」と、当時の社会や大人たちの静かな決意とあきらめを振り返ります。

終戦の日の記憶――アルコールを求め来た海軍将校たちの涙

 小林さんは疎開先の愛甲郡愛川町田代で1945年8月15日の終戦を迎えました。玉音放送が流れたあの日の光景を今も忘れることができません。

 小林さんが身を寄せていた親戚宅では、酒や醤油の醸造所を営んでいました。そのため、軍用燃料となるアルコールを求めて、海軍の将校たちが連日のようにそこへ通ってきていたのです。終戦が知らされた日、その海軍の若い将校たちは涙を流していました。

戦後80年――記憶の継承と平和への祈り

 戦後80年の歳月が経った現在でも、『海ゆかば』の歌を耳にすると、当時の切なく苦しい記憶が昨日のことのように鮮明によみがえります。

 小林さんは強い思いを込めて語ります。

 「戦争は絶対にいけない。若い人たちが国のために、大切な命を犠牲にすることはあってはならない」

 今年で太平洋戦争の終結から81年を迎えました。戦争の悲惨さを直接知る体験者は年々減少し、戦禍の記憶の風化が危ぶまれています。小林さんのような当事者の生々しい記憶を後世へと確実に書き残し伝えていくとともに、私たち一人ひとりが平和の持つ真の意義について深く考え続けることが求められています。

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