町田市認知症友の会の会長を務める 井上 美恵子さん 中町在住
「一人じゃ支えられないから」
○…認知症の本人、家族、サポーターらの交流会を2カ月ごとに開催している。自身も義父、義母の介護を務め、続いて、旦那さんも59歳の時に若年性アルツハイマーと診断された。働きながら、鼓舞しながら、周りに助けられながら最愛の人たちを看取っていった。経験者だからこそ「できたこと、できなかったこと、やればよかったこと」など伝えられる。交流会では、同じ境遇の人たち同士で情報を共有し、時には愚痴ることで発散できる場を作る。「思い出を作れるうちに」と、本人たちと一緒のイベントも多数企画。正月の餅つきは大盛り上がり。すごく嬉しそうに楽しんでくれるのが喜び。「私もみんなに助けてもらった。その恩返しかな」とほほ笑む。
〇…本業は看護師。小児科で地域の赤ちゃんや子どもたちの健康を診ている。夜も仕事で、旦那さんの介護時代は一度帰宅し、食事の用意をしてまた出かけるという日々を過ごした。徘徊を危惧し厳重にカギをかけた。デイサービスを嫌がる旦那さんを涙ながらに送ったことも。それでも仕事は辞めたくなかった。「申し訳ないなと思ったけど」。子どもたちが元気になった姿に癒される。
〇…岩手県出身。中学時代には女子で初の応援団長を務めた。「選ばれてしまって仕方なく。声が枯れるほど叫んでいたので、今でも潰れ声よ」と笑う。その勇ましいエールは、今では県人会などの宴会の『締め』の十八番になっている。看護学校時代の実習で幼い子の最期に立ち会い、「田舎の病院では何もできなかった。都会なら難病の子も看護ができる」と上京した。
〇…学会等で各地に赴く傍ら、週2回ママさんバレーで汗を流す。「日々忙しいけど、動いてないとダメみたい」。看護師になりたての時には、周囲の反対を押しのけ「女子大生にもなっときたい」と短大を受験した。その短大の友だちの紹介で旦那さんと出会った。「そんな運命もあるのよね」
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