神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
町田版 公開:2017年11月23日 エリアトップへ

3度の引っ越し、多くの手で支えられ 70年の歴史を振り返る

教育

公開:2017年11月23日

  • X
  • LINE
  • hatena
1948(昭和23)年当時の鶴川中学校
1948(昭和23)年当時の鶴川中学校

 今から70年前、鶴川中学校は1947(昭和22)年の6・3・3制の実施に伴い、鶴川村立として設立された。鶴川小学校の7教室を仮校舎として、学級数8、生徒数339人の新制中学校となった。初代校長は井上幸知氏。

 翌48(同23)年、現在の鶴川市民センターのところに新校舎が建設された。この時代は国および地方財政はひっ迫しており、総工費252万円のうち、230万円は村内の有志の寄付金やバザーの売上によるものだったという。また建設も地元の青年団が率先して行い、まさに地元の子どもたちのために、地元が一丸となって作った学校だった。

 この年、3年生として初めて、日光に修学旅行に行った。49(同24)年、ピアノを購入して披露会を開催。ピアノ購入費15万円、披露会費1万円すべてが村内の寄付。また茶の実集めを行い、校門より玄関までのコンクリートたたきが完成。茶の実22俵5升、売上金1万2千円だった。50(同25)年には講堂および工作室が完成した。

 58(同33)年には町田市制施行に伴い、「町田市立鶴川中学校」と校名を変更。63(同38)年には給食調理所施設が完成。「当時は栄養のとり方が少なく、改善するために給食を取り入れたいと思いましたが、当初は3分の2が反対。のちに賛成者が増え、実現しました。給食費は月700円、負担も大きかったようです」と当時PTA会長の小林美津子氏。

 65(同40)年、鶴川団地の誘致と区画整理により、鶴川中学校の用地に進入道路の建設、団地入居者により学校が手狭になることなどから、鶴川第一小学校跡地に移転計画。67(同42)年9月、新校舎完成、町田市で初の鉄筋4階建校舎となった。場所は現在の子どもセンター「つるっこ」。

 69(同44)年、生徒数が700名を超える。浄化装置つきプールも完成し、翌年、体育館が完成。

 72(同47)年、生徒数は800人を超す。鶴川二中が発足し、三輪町、能ケ谷町、鶴川一、二、六丁目および五丁目の一部が鶴二中の学区となった。この年の生徒数は分校したため500人を割ったが78(同53)年には900人になり、翌年に1000人を超えた。

 80(同55)年には、真光寺中が発足し、鶴川、小野路町の一部が学区を離れた。84(同59)年、金井中が開校し、学区も変更された。96(平成8)年ごろより公共建築に対する耐震強度の規制が厳しくなり、校舎の耐震結果が芳しくなかったため、01(平成13)年、小野路町に教科教育型の新校舎が建てられ、翌02(平成14)年に移転した。旧校地の4割程度が安全寺の寺領だったので、その分は市から寺に返還され、残りの敷地に現在の子どもセンターつるっこが建設。

 この70年間に3度の引っ越しがあり、多くの人の手で支えられた鶴川中学校。

※大蔵町町内会創立50周年記念誌、同校40周年記念誌など引用。

現つるっこに建てられた2代目校舎(68年当時)=上、現在の校舎(03年)
現つるっこに建てられた2代目校舎(68年当時)=上、現在の校舎(03年)

町田版のローカルニュース最新6

富永果捺子&西山詩苑デュオコンサート

若手の逸材2人 町田初共演

富永果捺子&西山詩苑デュオコンサート

4月25日

刈田享子バースデーコンサート開催

刈田享子バースデーコンサート開催

宮下嘉彦とデュオ

4月25日

「レコードを楽しもう」

「レコードを楽しもう」

相模原市・高柳さん自宅で

4月25日

防衛や防災などの活動知る

27日 JR町田駅前で催し

防衛や防災などの活動知る

4月25日

気まぐれコンサート

気まぐれコンサート

 5月14日 鶴川で開催

4月25日

多摩市の旧記念館で企画展

多摩市の旧記念館で企画展

建設関わる人物にスポット

4月25日

あっとほーむデスク

  • 4月25日0:00更新

  • 4月11日0:00更新

  • 3月28日0:00更新

町田版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

町田版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月25日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook