草木に感謝し、その成長を願って建立されたと伝えられる石碑、「草木塔(そうもくとう)」。江戸時代に火事で屋敷が焼失し、その再建のために山林の木々が伐採され、そのことに対する感謝や鎮魂の念を供養塔として残したとされている。緑が多く残る小野路で、自然愛護の精神を後世に伝えようと、周辺住民らが中心となり今年1月に「草木塔を建てる会」を発足、このほど、万松寺奥の「図師小野路歴史環境保全区域」の入口に草木塔を設置した。
草木塔は「草木供養塔」とも呼ばれ、全国に約160基あり、その9割が山形県に存在する。江戸時代、安永元(1772)年に江戸の藩邸が焼失し、その再建のために米沢の山林の木を伐採。また安永9(1780)年には米沢で大火があり、その復興で大量の樹木を伐採した。同年、それらを鎮魂するために米沢藩主・上杉鷹山が建立した草木塔が、日本で最も古いものとされている。
昨年から準備を始め、今年1月に発足した小野路周辺の有志22人からなる「草木塔を建てる会」。会長には小島資料館の館長などを務める小島政孝さん(69)が就任した。小島会長は「昔の人たちは飢饉の時、小野路村の山野に自生する草や青物(野菜)、木から食物を採り、命を繋いできました。また雑木林が多く、大量の炭を焼いて江戸に販売し、畑には桑を植え、蚕から繭を作って販売するなど、自然の恩恵から重要な産業を行ってきました。現在は急激な人口増と社会の発展によって自然の緑地も極端に減り、地球の気候は温暖化のためにそのバランスを崩しています。大型台風や局地的な集中豪雨のような異常気象が続き、大きな災害が毎年世界でも起きています。先人たちが築いてきた自然を大切にする心は現在から未来にかけてもっとも伝えていかなければいけない大切なメッセージです」と設置の理由を説明。「令和になり、心も新たに未来へ自然を大切にすることを伝えたい」と訴える。
なんと最古の草木塔か
今年2月、新たな草木塔の設置計画中に同会の会員で、農業を営む嶋野幸男さん(71)宅の裏の竹藪で、「草木塔」と彫られた自然石が出土した。裏には「元文」と彫られている。元文は1736〜1741年の元号で、上杉鷹山が建てたものより40年も古いということになる。小島会長は「元文の前の『享保』時代には浅間山の噴火があり、百姓一揆がおこり、イナゴが大発生して大飢饉になっている。小野路村でも食糧事情が悪く、苦労したと思われる。鎮魂や感謝を込めて建立したと推測できる」と分析する。その草木塔は道路脇に移設された。”最新”と”最古”の草木塔。「地元の人も、外から来る人も、自然の大切さを再認識してもらえたら」
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