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公開日:2019.01.01

「夕焼小焼」の詩、誕生100年
恩方出身中村さんが作詞

  • 「夕やけ小やけふれあいの里」(上恩方町)に飾られている中村さんの肖像

    「夕やけ小やけふれあいの里」(上恩方町)に飾られている中村さんの肖像

  • 中村さんの歩みについて語る高井さん

    中村さんの歩みについて語る高井さん

  • 還暦を記念して建立された歌碑

    還暦を記念して建立された歌碑

  • 宮尾神社

    宮尾神社

 八王子市教育委員会が出版した「追想 中村雨紅(うこう)」によると、現在の上恩方町出身の詩人、中村雨紅さん(本名は高井宮吉/1897〜1972年)が童謡「夕焼小焼」の詩をつくってから今年で100年となるようだ。八王子市民だけでなく、多くの日本人に「懐かしさ」を感じさせる詩がつくられた背景はどのようなものだったのか、聞いた。

宮尾神社の三男として誕生

 上恩方町(当時は恩方村)・宮尾神社の宮司の三男として生まれた中村さん。住まいに近い高等小学校を卒業すると、都内の大学へ進学し小学校の教師に。

 そこで同僚とともに、子どもたちの情操教育に役立てようと、童謡の作詞や詩の制作などの執筆活動を開始し、1919年に生まれたのが夕焼小焼の歌詞だった(「追想 中村雨紅」のなかで中村さんがその頃に制作したと対話している)。

 「実家である宮尾神社から見た夕焼けの様子が書かれているのでは、と言われることもあるんですが、雨紅は生涯にわたって、『特定の場所ではない。それぞれの故郷と思ってもらえれば』と言っていたそうです」と、親族で2度、中村さんと会ったことがあるという現在、宮尾神社の宮司を務める高井住和さんは話す。

「きっちりとしていた」

 高井さんが出会ったときの印象はスーツをしっかりと着込んでいる「きっちりとした人」。当時、高井さんは小学校低学年、中村さんは60歳を超えていたと言い、「雨紅が神奈川県厚木市で高校の教師を務めていた時の教え子の方が来られたことがあったのですが、『1回も怒られたことがなかった、声を荒げたことも』と言っていました」

 今も神社の境内には、中村さんの還暦を祝い建立された、夕焼小焼の歌碑があるが、「夕焼小焼」の作詞者が中村さんであるということを地元住民など多くの人が知ったのは「雨紅がNHKの番組に出演し話したことがきっかけとなったのでは。私が幼少の頃、知った時はああ、そうなのかという感じでピンときませんでしたが」と笑う。

「恩方」が影響

 そして、中村さんが作詞家となった背景には、恩方で生まれ育ったことが影響しているのでは、とも話す。中村さんが幼少の頃、恩方村では大正や昭和の文化の影響を受けて歌をつくることが流行っており、その影響で中村さんは言葉に対し「敏感」だったのではないか、と。

 「夕焼小焼の歌をつくった時、雨紅は恩方を離れていたのですが、夕焼小焼は当時住んでいた地域の景色と恩方の情景を思い浮かべながら作詞したのでは」と高井さん。

 そして、「現在、30カ国以上で歌われているそうなんですが、これからもより多くの方にそれぞれの故郷を思いながら歌ってもらえれば。雨紅は夕焼小焼以外にも素晴らしい作品をつくっているのでそれらもみてもらいたいですね」と話している。

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