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八王子 コラム

公開日:2026.03.12

―連載小説・松姫 夕映えの記―
第6回 作者/前野 博

  • ―連載小説・松姫 夕映えの記― (写真1)

 (前回からのつづき)

 だからといって今回もうまく行くとは限らない。不安が信松尼の心に大きく広がっていた。

 「おっかさん、心配しないでね。おキミは良い子でいるからね!」

 八王子城の奥に聳える景信の尾根の方から爽やかな風が吹いて来た。野山の緑が眼にまぶしく光り輝き、涙が滲んで来る。

 おキミは何度も振り返りお梅を見ていた。城山川の橋を渡り坂道を上ると出羽山砦の脇に出た。その高台の木々の間から城下の町を見ることができた。横山口の木戸の前にはまだお梅が立っていた。もう声が届かない距離であり、出羽山は木々の緑で覆われ、お梅の所からはおキミの姿を見ることはできなかった。

 「おキミや、さあ行きましょう」

 信松尼が肩を包むようにしておキミの体の向きを変えた。

 「おっかさん!」

 おキミがぽつりと言って涙を落した。

 「おキミ、元気を出すのよ!」

 貞姫が声を詰まらせながらおキミに声をかけた。香具姫も督姫の頬にも涙が伝っていた。姫君達は四歳の時に母親と別れ、その後両親が死んだことを知らされた。別れの時、信松尼はそれぞれの母親から娘をよろしく頼むと託された。今姫君達は十二歳となり健やかに成長している。姫君達の心を辛い別れの思い出が過ぎっているのだろうと信松尼は思った。

 武田が滅びてから八年が過ぎ、今北条が滅びようとしている。信松尼の心は重く沈みそうになるが、足取りはしっかりと御所水の里に向かっていた。

   武田の姫君

  一、

 天正十年(一五八二)、松姫と少女三人の運命が激変した。

 織田信長は石山合戦を収束させ、毛利氏に対しても攻勢を強め有利に戦いを展開していた。信長の目が東国に向いた。前年の天正九年、武田勝頼は徳川軍攻撃にさらされた高天神城に後詰を送れずに落城させてしまった。〈続〉

◇このコーナーでは、揺籃社(追分町)から出版された前野博著「松姫 夕映えの記」を不定期連載しています。

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