徒然想 連載282 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
九月の別称は、長(なが)月(つき)・色取り月(木の葉が色づく月)・菊月・寝覚月(ふと目ざめて秋の夜長を知る月)など多くあります。
今月は「結縁(けちえん)、不結縁に関わらず、皆是れ仏子なり」です。
出典は中国、隋、天(てん)台(だい)智顗(ちぎ)説『法華玄義(ほっけげんき)』です。
意は、縁のあるものも、縁のないものも、皆、仏の子どもです、ということです。
「縁なき衆生は度し難し」、という文言がありますが、これは縁のない人々を救うことは難しい事、という意です。仏の教えに出会うことのない人々が、そのめぐみに会えないのは当然のことです。人と人、人ともの、ものとものとの善き出会いは、大事で大切なこと。このことに対し、この文言はさらにもう一歩踏み込み、自分の責任や立場を考えない、自分の事しか考えられない人々でさえ仏の子どもです、というのです。最も重い罪を犯した非道の人までもが、修行して仏に成ることができるというのは、仏教に一貫した考え方です。
その考えの最も強い師、親鸞は、善人はともかく、悪人こそが仏の救済を受けなければならない、と強く主張しています。
仏の世界では、すべての人は仏の子どもであり、縁のあるなしに関わらず、それぞれが仏のめぐみをいただいているのだ、と師は教えているのです。
桃蹊庵主 合掌
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