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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.04.24

三郎助を追う ~もうひとりのラストサムライ~ 第41回 文・写真 藤野浩章

  • 桜島と昇平丸モニュメント(鹿児島県垂水市・道の駅たるみず)

    桜島と昇平丸モニュメント(鹿児島県垂水市・道の駅たるみず)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「なにが昌平(しょうへい)丸だ。これじゃ閉口(へいこう)丸だ薩摩のイモ丸だと、青い顔で散々文句を言っておいででした」

     ◇

 三郎助が手がけた日本初の大型洋式軍艦「鳳凰丸」。長崎海軍伝習所に華々しく登場したいところだったが、実際に第1期生を運んだのは薩摩藩が建造して幕府に献上した「昌平丸」だった。

 建造から約1年間、さまざまな試験を繰り返し、幕閣からの評判が良かった鳳凰丸だったが、外洋航海に適さないのではないか、という評価が一部であったようだ。特に勝麟太郎は同船を酷評している。当時幕府に大抜擢された彼の意見は大きかったのだろう。

 しかし一方で、三郎助が実際に黒船を詳細に見分した情報が活かされている鳳凰丸と違い、昌平丸は外見は洋式船だが建造法が分からず、特に漏水がひどかったという説がある。本書では、冒頭のセリフのように勝がさんざん文句を言うことで両船の性能を表しているのが面白い。

 こうして長崎へ向かった昌平丸。当時、江戸近辺から長崎へは半月ほどあれば着いたというが、この時は何と1カ月半もかかっている。もちろん前述のような性能や台風が頻発する時期であったこともあるだろう。それを本書では、当時発生した大事件と重ね、ドラマチックに展開する。

 安政2(1855)年10月2日の夜10時頃。船は遠州灘を通り、伊勢湾を過ぎて伊勢志摩の安乗(あのり)岬にさしかかった時だった。船底に異様な衝撃が加わったのだ。

「津浪だ」--三郎助は慌てて舵を握った。

 震源は江戸湾北部、マグニチュードはM7・9。安政江戸地震である。

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