三浦版 掲載号:2018年10月19日号 エリアトップへ

連載 第26回「城ヶ島のこと その2」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2018年10月19日号

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奇岩の一つ「火炎構造」
奇岩の一つ「火炎構造」

 『新編相模風土記稿』に「城ヶ島村」のことを、「三崎町の南方海上四町余(約四百三十五メートル余)にある孤島なり」として、昔、此の地に城郭があって残された名であると言い、あるいは、「尉(にょう)」と言う者が住んでいた故(ゆえ)に「尉(にょう)ヶ島」と書いていたのを後に今の文字に改めたものであるとして、「何(いず)れが是(ぜ)なるを知らず」としています。

 他に、明治八(1875)年に編纂(さん)された『神奈川県皇国地誌残稿』によると、「本村往古ヨリ本郡(三浦郡)ニ属シ衣笠ノ庄三崎ノ郷ノ内ニアリテ桜島ト呼ビシヲ後今ノ称呼ニ改メ延宝四(1676)年特ニ一村ヲナスト云フ」とあり、さらに続けて、「三崎志(宝暦六/1756年刊)ニヨルニ貞観(平安期の859〜77年)ノ頃一人の尉(にょう)三崎ニ居ル由(よっ)テ其(その)他(た)ヲ(を)尉村及(および)尉ノ谷ト云ヒ其属島(しま)ヲ尉ヶ島ト称ス。其後源頼家遊覧ノ時共ニ城ノ字ニ改ムト云」と記されています。

 さらに、「疆(きょう)域(いき) 」(くにざかい)として、「海水四方ヲ繞(めぐ)リ、北方一海峡ヲ隔(へだ)テ、三崎町及六ツ合村ト相対シ、東ハ東京湾口ニ向ヒ、南ハ洋海淼(びょう)然(果てしなく広く)一望際(きわ)ナク 西ハ相模洋(なだ)ニ臨(のぞ)メリ」と記されています。

 また、明治期に刊行された案内記や繁昌(はんじょう)記等を選んで収められた『武相案内誌』(神奈川県図書館協会・昭和五十三年三月発行)には次のように記されています。

 「三崎の町と三四丁(330m〜430m)の海を隔てた城ヶ嶋は元と尉(にょう)ヶ島と云った、周囲一里余、昔し里見左馬頭(かみ)義弘が陣所を構えた所である。島の形日本全島に似て居るので孫日本とも云ふ。岬角すこぶる多く、其の重(おも)なる者(もの)を挙ぐれば……」として、「安房ヶ崎」、「灘ヶ崎」、「遊ヶ崎」などをあげ、さらに、その地の海岸には「点々として小島小(しょう)嶼(しょ)(水中の州(す))碁布(ごふ)し、名ある者を挙ぐれば、江の子島、居島、平島、欠ヶ島、笠島、千鳥島、里島、赤羽子島、小黒島、釜島等である、又海浜に酔女(えいにょ)浜、小浜、アキリ浜、村下浜などの小名がある。」と書かれ、さらに、「総じて此(この)島の周囲は奇石怪厳突兀(とっこつ)(山などが高くそびえるさま)として横たはり、風吹けば怒涛(どとう)激浪(げきろう)天にし朝、靜かなれば扁舟(小舟)軽軻(舟足のかるい小舟)を駆って、島廻りを為(な)すに尤(もっと)も妙である。」とも記されています。

 海底から生まれたとされる、この島には地質学を実際の眼で確認できるところが多くあります。

           (つづく)
 

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