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逗子・葉山 社会

公開日:2026.02.27

市民防災セミナー
「私の反省生かして」
東日本大震災被災者が教訓

  • 山縣さんの話を熱心に聞く参加者

    山縣さんの話を熱心に聞く参加者

 逗子市は市民の災害への備えと正しい知識の習得を目的に2月14日、「市民防災セミナー」を開催した。

 東日本大震災の伝承活動や防災・減災教育に取り組む「市民活動グループSAY`S東松島」代表の山縣嘉恵さん(58)が登壇し、「東日本大震災の教訓から地域防災に大切だと感じること」をテーマに講演した。

 山縣さんは宮城県東松島市在住。当時、避難していた東松島市立野蒜小学校で津波に襲われ、間一髪で助かった経験を持つ。

 震災当日、山縣さんはまず息子を小学校に迎えに行き、避難所となっていた地区センターに預け、その後自宅で待機させていた義母を連れて同センターに避難した。山縣さんとしては、それで「避難完了」したつもりだったが、多くの人が小学校へ移動していたため、それに倣い小学校へ向かった。体育館は既に人でいっぱいだったため校庭の一角にいたが、そこでも「学校にいれば安心」と思っていたという。しかし、程なく「泥水の黒い壁」のような津波が迫り、約50m先の校舎に向かって必死に走った。この時一度、息子と義母を見失った。校舎に入って5分後に息子と義母に再会できたが、その時間はとても長く感じられたという。

 学校は海から1・2Km離れていたが、津波の高さは校舎の1階が水没する3・5mに達していた。最初に避難した地区センターは平屋建て、次に避難した体育館も津波避難には適さない場所だった。学校の北西には峠があり、そこを知っていて逃げた人は助かっている。山縣さんは「津波からの避難想定で、学校の2階以上に避難する訓練をしていなかったことを後悔している。避難訓練を学校と地域と連携して実施することが必要」と語った。また、かつてのチリ地震の津波到達時間が約22時間だったという記憶から「津波が来るのは22時間後」との思い込みが、全ての行動を遅らせたと悔いた。

避難生活で女性活躍

 地震の翌朝、避難所で多く見られた光景は、家族を探しに来た多くの人の姿だった。「○○いませんか?」と尋ねまわる人に、「〇〇さんは見かけましたよ」とお互いの家や顔、名前を知っている女性の地域情報力が生かされていたという。

 一方で、家族間での安否確認方法の共有や伝達がうまくいかずに起きた悲劇もあった。一度避難した人が家族を心配するあまり自宅に戻って、そこで亡くなり、心配されていた家族は避難していて無事だったという事例だ。山縣さんは「平時に家族と話し合い、避難行動を約束しておきましょう。無事なら必ず再会できます」と強調した。

 また、避難所運営に関しては、女性用衛生用品の管理をしたり、学校に置いていた子どものジャージを寒さ対策で活用したりするなど、女性ならではの視点が不可欠であると語った。

 桜山1丁目の自主防災部長を務める70代男性は「想像していたことの裏付けができたことと、盲点も見つかり、有意義だった」と語った。

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