茅ヶ崎市中島出身・在住のシンクロナイズドスイミング日本代表・小俣夏乃さん(20)。昨年夏のリオデジャネイロ五輪チーム演技に初出場し銅メダルを獲得した。秋には茅ヶ崎市民栄誉賞も受賞した小俣さんに、リオでの経験や茅ヶ崎への想い、今年の抱負を聞いた。
「一つひとつの経験が人生で初めてのことばかりで、あっという間の1年だった」と2016年を振り返り「一番はやっぱりリオでのメダル」と笑顔を見せる。
リオへの道は昨年春、所属クラブ「アクラブ調布」(東京都)を通じて代表入りの知らせを聞いたことから。出発前には市役所を訪問し「メダルを持ち帰りたい」と力強く宣言。地元の様々な人からの応援に「責任は感じたが、皆さんの期待を胸にポジティブにリオで最高の演技をしたいと思った」と振り返る。
その後の代表合宿では井村雅代コーチの指導に「勢いが凄く、大舞台での勝ち方を知っている方。信じてついて行く」と圧倒されつつも決心を固めた。またメンバーの中で最年少かつ身長も最も小柄(161cm)だが「気合と根性は誰にも負けないで先輩たちについて行く」と練習に励んだ。
それでも「睡眠と食事以外、1日12時間水の中で過ごしたことも。しんどい練習メニューもあった」といい、持ち前の根性を持ってしても音を上げそうに。そんな時、支えになったのは「友だちや家族。連絡を取り合って乗り越えた」。また合宿の合間には、慣れ親しんだクラブで練習したり、友人と遊んだり、茅ヶ崎で過ごし「限られた時間でも、リフレッシュできた」。
モチベーション上げ決戦の舞台へ
そして7月下旬、決戦の地ブラジルへ。現地のプールに慣れながらも「最後までコーチに怒られて、緊張しかなかった」。開会式では「今までに聞いたことがないほどスタジアムの歓声が大きくて『やっとここまで来た』と感慨深くて。モチベーションが上がった」。
そして迎えた8月18日。「一つひとつ自分のやることを頭に入れて、本番は集中した」と無事テクニカルルーティンを終え、日本はロシア、中国に次ぐ3位に。ライバルのウクライナが4位につけ、気を抜けない状況だったが、翌19日に挑んだフリールーティンでは「これが最後。全てを出し切る」と演技。そしてプールサイドで結果を聞いた瞬間、代表メンバーと喜びを爆発させた。銅メダルを手にした瞬間には「日々頑張ってきた思いが詰まって、メダルがとても重く感じた」と涙が頬を伝った。
地元からの応援はいつも温かく
帰国後、地元や母校の柳島小学校、中島中学校で報告会を開いた。「応援して下さった地元の人たちは、五輪へ行く前も帰って来てからも温かい。良い報告ができて良かった」と安堵の表情を浮かべる。その後市民栄誉賞も受賞し「いただいて良いものか迷いましたが、名誉ある賞の名に恥じないように行動していきたい」。
きっかけはウォーターボーイズ
現在は国士館大学の2年生。4歳で競泳を始め、小学4年の頃にテレビドラマ「ウォーターボーイズ」を見て「やってみたい」と夏休みに学校のプールで見よう見まねでシンクロに挑戦したのが始まり。その後、近隣の「アクラブ藤沢」に所属しシンクロに転向。「チームで揃って演技できるようになると楽しかった」と振り返る。その後、本格的に続けるに連れ「練習がきつくなった」というが「小6、中学生時代に全国優勝の結果を出せたのが励みになった」。さらに専念するためアクラブ調布に所属を移し、クラブに近い麻生高校(川崎市)へ進学した。
持ち前の「根性」は高校時代の経験から
順風満帆に見える競技生活にも挫折はあった。高1でジュニア日本代表に選ばれ、その中で4番手の実力があったにも関わらず、身長などの理由で出場メンバーを外された。「とにかく悔しかった」と負けず嫌いな性格に火が付き、その後代表の座を掴み取った。この時から自覚している強みは「誰にも負けない根性」。その後2014年には世界ジュニア選手権のフリーコンビネーションで優勝を果たすなど、実績を積み重ねた。日本代表入りしてから調子が出なかった時には井村コーチからも「根性が取り柄なんやろ、根性あるんやから大丈夫や」とお墨付きをもらったという。
茅ヶ崎は安心する場所
現在も母親と中島に暮らす。合宿や遠征から帰り、茅ヶ崎駅に降り立つといつも思うのは「海の潮の香りがして『帰って来たんだ』と安心する」。自宅から海までランニングしたり、自宅から近くの竜泉寺の湯(中島)でリラックス。お気に入りのインド料理店「シッダババ」(南湖)の料理に舌鼓を打つことも。
昨年9月の代表選考を通過し、メンバーの入れ替わりもあった日本代表に再び選ばれた。1月5日から代表合宿が始まる今年の目標は「日々前進」。今後は「いつか引退しても名前の残る、尊敬されるような選手になっていきたい」と笑顔を見せ、更なる飛躍を誓った。
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