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茅ヶ崎・寒川 トップニュース文化

公開日:2025.09.26

寒川町
東守神社の氏子会解散
後継者不足と高齢化要因

  • 東守神社の跡地を表す石碑

  • 例祭に参加した氏子やその関係者ら

  • 1967年11月23日撮影された神社=三枝惣治さん撮影、寒川文書館蔵

 寒川町岡田にある東守(とうず)神社の氏子会が、9月18日の例祭をもって解散した。

 現在、神社の本尊の保存場所については検討されているといい、神社の跡地は、同じ町内の菅谷神社により維持・管理されるという。

 解散の主な要因としてあげられたのは、氏子会の高齢化と後継者不足。同会の最高年齢は92歳だといい、年々会員数は減少していた。数年前から解散の案が上がっていたこともあり、昨年正式に決まったという。

 例祭当日には、現在の氏子20人の名前が刻まれた記念碑の除幕式も開催され、関係者からは別れを惜しむ声も聞かれた。

「地域の集いの場所だった」

 東守神社は、郷内に疫病が流行した際、村人が祈願するとたちまち治ったことから「疫病平癒」の神として地域に信仰されてきた。

 ところが明治時代後期にはいると、国の方針で徐々に神社の合祀が進められ、同神社も1967年に周辺の5つの神社とともに菅谷神社となった。しかし、氏子たちの「お宮を守りたい」という強い思いから、御霊は移ったものの、例祭や民間行事は合祀後も継続されていた。

 そんな同神社は、夏になれば盆踊りやラジオ体操を、冬は初詣やどんど焼きが行われるなどにぎわいが絶えない場所だったという。当時を知る三澤芳彦さん(同町岡田在住)は「昔はスクリーンを張り出して、みんなで映画を観たりもした。ここにくれば誰かいる。そんな地域の集いの場所だった」と話す。

最後の例祭

 9月18日に開催された最後の例祭には氏子や関係者ら21人が参加。それぞれが思い出を口にし、「お宮はしまってもこの場所を守っていってもらえたら」などと話していた。

 今後について元同神社氏子会の会長を務めた三枝北斗さんは「管理は菅谷神社にお任せすることになるが、今後も地域づくりには力を入れていきたいと思っている」と話した。

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