小田原城北工業高のグラウンドでは、同校の陸上部員にまじって他校の生徒も練習に励む。お目当ては、コーチとして指導にあたる同校定時制教諭の佐藤享さん(31)。10年以上破られぬハンマー投の神奈川県高校記録保持者だ。
旧・箱根明星中出身。当時同校には陸上部がなく、足柄下郡の中学校陸上競技大会時には特設チームを結成。サッカー部に所属していた佐藤さんは、毎年学校代表として出場していた。
3年生では3種競技(走高跳・砲丸投・100m)で県大会に進出。結果は振るわなかったが、「跳ぶ・投げる・走る」の3拍子そろった身体能力の高さに目をつけた人物がいた。当時の小田原高体育教諭で、現在は同じ城北工高で陸上部顧問を務める鈴木充さん(61)だ。
「陸上をやらないか」。熱心な勧誘が始まり、「息子にやらせてみなよ」と、父の飲み仲間にまで広がったスカウトの輪。高校でも続けたかった一方、「勉強がちょっと……」と志望校には届かなそう。それならばと誘いを受け、陸上の優秀な指導者がいる小田原城東高(現・小田原東高)に進学を決めた。
身長172cmで、どちらかと言えば小柄。体格差の影響を受けにくいハンマー投を始めたが、練習は想像以上に過酷だった。求められるのは基礎トレーニングばかりで、スイングは1日に最低3千回。「嫌で仕方なかったけれど、先生が怖くて」
ところが疲労困憊でも続けるうちに、ふいに味わった腕の力がスッと抜ける感覚。ハンマー投では力みが失敗の元で、その克服こそが上達への道だ。「基礎が大切」と感じて以降、入学当初は25m程だった記録が半年後に50mまで伸び、新人戦で関東制覇。3年次にはインターハイ、国体、日本ジュニア選手権でハンマー投3冠を獲得した。
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中京大時代、毎日練習を共にしていたアテネ五輪金メダリストの室伏広治さん。間近に感じた世界との差に挫折も味わったが、「一流を見続けたことは、指導者として大切なスキル」と胸を張る。思い出すのは高校時代、練習に対する意識が変わったあの瞬間。「生徒たちにも必ずある。早く引き出してあげたい」。そんな指導を求め、県内各地から集まる高校生たち。この世界へ導いてくれた恩師のもと、自身の県高校記録を塗り替える選手を育てるのが目標だ。