7月10日に開幕する第98回全国高校野球選手権神奈川大会で始球式を務める 佐々木 正雄さん 川島町在住 67歳
恩義重んじる「球道人」
○…1966年の夏、横浜平和球場(現横浜スタジアム)で広がった歓喜の輪の中心にいた。当時、絶対的な力を誇った武相高校との決勝戦を制し、甲子園出場を決めた横浜第一商業(現横浜商大)高校のエースピッチャーとして快投。大会を終えてみれば、33イニング連続無失点という記録を打ち立て神奈川の頂に立った夏から50年、この夏、再びあのマウンドに立つ。「僕でいいのかなという思いもあるが、同年代の甲子園を目指した人たちの代表」。始球式で投じる1球に、そんな思いを込める。
○…終戦から3年後、家族の疎開先だった群馬県内で生まれた。2歳の頃に横浜に戻り、自宅前に市電が走る「ハマのど真ん中」で幼少期を過ごした。平和球場での高校野球に心躍らせた少年時代、腕っぷしが強く、中学2年の頃、横浜線沿線に移り住むと喧嘩に明け暮れる毎日。沿線の大番長として君臨した。「強いもんとしかやんねぇよ」。笑顔を見せるが、その迫力ある話しっぷりに当時のやんちゃさが垣間見える。
○…横浜商科大学硬式野球部の監督室。神棚の下に1枚の写真が飾られている。同大の創始者・松本武雄氏。「この人と出会わなければ人の道を外れていたかもしれない。恩人なんです」。高校野球の指導者を経て、会社勤めをしながらも野球への熱が沸々とたぎっていた30歳過ぎの青年は、松本氏から同大野球部の指導を直々に依頼された。旭区内で立ち上げたスポーツ用品店の社長業と監督、2足の草鞋を履く生活は34年たった今も変わらない。
○…甲子園でベスト8まで駒を進めた剛腕も67歳。「キャッチャーまで球が届かないんだよな」。大役決定後は連日、投球練習に汗を流す。節目節目で墓を訪れ「会話する」という師には、まだ報告を済ませていない。「届くようになってからお伝えしたくてね」。少し潤んでいるように見える目を向けた視線の先で、師が優しく微笑んでいた。
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