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緑区 社会

公開日:2026.03.12

3月、あの日から15年
被災者に寄り添う赤尾さん
「東日本大震災」連載【2】

  • 親戚の家族写真について語る赤尾さん

    親戚の家族写真について語る赤尾さん

  • 品物を販売して募金活動に取り組む赤尾さん(2024年12月)

    品物を販売して募金活動に取り組む赤尾さん(2024年12月)

 2011年3月11日。日本国内観測史上最大規模となるM(マグニチュード)9・0の巨大地震が発生した。この地震がもたらした東日本大震災から今月で15年。未曽有の災害から私たちは何を学び、被災者支援のためにこれからどう行動すべきか。緑区民の体験や思いを取材し、連載する。

 鴨居在住の赤尾友子さん(81)は母の実家が宮城県石巻市で、東北地方には多くの親戚がいた。発災時は川崎市の病院に入院中で、テレビ中継を見て被災地の悲惨な状況を目の当たりにした。あまりの衝撃に不整脈を起こし、落ち着かせるために薬を2回に分けて投与したという。「あのときテレビで見た光景は今でも目に焼き付いて離れません」。幸いにも日頃から連絡を取り合っている親戚は全員無事が確認できた。後日、被災した身近な人たちから何度も当時の話を聞き、赤尾さんの心にも震災の記憶が深く刻み込まれた。「この日が近づくと毎年心が痛みます」

 鴨居で飲食店「くつろぎ」を営む赤尾さん。親戚の家族写真が入ったフォトアルバムを見せてくれた。「地震の1カ月ほど前の11年2月6日に母の実家に帰省していました。そのときに持ち帰った写真です」。親戚は何も持たずに避難したため、残っている家族写真は赤尾さんの手元にあるものだけだという。帰省時に可愛がっていたイヌの写真を指差し、「流されて死んでしまったことを後で知りました。冷たい海の中でもがいて、息絶えたんだろうな」と悲し気に話した。

「いずれは我が身」

 赤尾さんは18歳まで宮城県角田市で過ごした。海軍に勤めていた父から、自宅が全焼したときに同僚が親身になって助けてくれた昔のエピソードを聞いて育った。「災害が起きたときに助けられたという経験は、『次は私が何かをしたい』という思いにつながると思う」と恩返しの連鎖について話す。「いつどんな災害が起こるか分からない。いずれは我が身という気持ちでいる」と平時から、他者を思いやる気持ちを忘れない。

 赤尾さんは東日本大震災に限らず、千葉県で起こった大雨洪水被害や能登半島地震、戦禍にあるウクライナの支援など、遠い場所での出来事に思いを寄せ、義援金を募るなど行動に移してきた。自宅の駐車場でさまざまな品物を販売して募金活動を行ってきたが、年齢を重ねると「品出しなどが大変になってきた。次が最後かもしれない」と話す。次回はウクライナの支援の募金活動に向けて、準備を進めているという。侵攻から丸4年が経ち「今も電気が使えず、寒いところで生活をしていると聞く。労力を惜しまず頑張ってやっていきたい」と語った。

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