戸塚区・泉区 意見広告
公開日:2026.11.01
横浜市泉区、40年を迎え
■マンモス区・戸塚から分区
戸塚区から分区して泉区になったのは私が中学一年生の時、あの時のインパクトは鮮明に覚えています。「区名って変えられる」ことへの驚きや「区が大きいから分割する」という単純な理由を当時の私の脳では消化できないままでしたし、加えて当時私の周辺には「和泉町」「和泉台」「いずみ野」に加え「いづみ」といった地名が存在していた中、その上位の区名も「泉」に変わるという事になり、複雑な心境になった記憶があります。又、同級生に泉という名の女の子もいて、「区の名前になってすごいじゃん!」などと会話をした思い出もあります。全てが小中学生レベルの発想ですね。
■泉区誕生の前
1889年に横浜市制が施行しました。ご当地泉区はと言うと、まだ神奈川県鎌倉郡中川村と同郡中和田村のままでしたが、横浜市誕生から50年遅れる事1939年、時代の変遷とともにご当地は戸塚区として横浜市に編入されました。実は私たちの住むエリアが横浜市になってまだ87年しかたっていません。大正関東地震、いわゆる関東大震災が発生した1924年は横浜市ではなく神奈川県鎌倉郡でした。
それとは別の観点ですが、なぜ内陸部まで横浜市に編入されたのかは不明です。旧戸塚区(瀬谷・泉・戸塚・栄)だけで一般市としての道を歩む選択肢もあったのだろうか、と想像することもあります。因みに現在の泉区だけで海老名市と同等の人口です。と、昔の話を始めると平安鎌倉時代を通り越して縄文時代まで遡ってしまうのでこれで終わります。
■泉区の発展繁栄
泉区の発展はというと、御多分に漏れることなく高度経済成長期に進みました。まだ戸塚区であった昭和時代に相鉄いずみ野線の開通によって開発が劇的に進み、20世紀末に開通見通しだった市営地下鉄延伸計画の後押しもあり人口流入が進み現在の区勢に至っています。40年前泉区は11万5千人で歩き出し、ピーク時には15万人を超え、その後微減を重ね現在は14万9千人となっています。日本人の少子化、高齢化による人口減少は今後も進んでいくと思われます。繁栄の象徴的な言葉として「人口増」が使われることがありますが、世界中の先進国も同様の少子化高齢化による人口減現象がおきている事を考えると、この流れに抗う事は難しいようです。因みに私を含む1973年の出生数は209万人ですが昨年2025年の出生数は67万人です。
■泉区の将来
さて泉区の将来についてですが、取り分け鉄道の存在は大きいです。誘致を進めて頂いた先輩方への感謝に尽きます。同等規模の瀬谷区2駅、栄区3駅に対し泉区は9個もの鉄道駅を頂いております。少し歩けばバス停も見える公共交通の充実した素晴らしい区です。地域の発展繁栄、豊かな市民生活のためには公共交通インフラの有無は大きな大きな要素になります。生活利便性やサービスの持続性を確保するためにコンパクトシティという概念の下、区民の方々の駅周辺への誘導を進め、外出しやすい街、お買い物に不便しない街泉区を目指してまいります。
横山ゆうたろう
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横浜市泉区和泉町7113
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