―区制90周年記念―【連載【2】】 鶴見90年のあゆみ 「明治・大正期」
【臨海部埋立事業】
現鶴見区の面積の実に約3分の1を占める埋立地。臨海部における壮大な埋立事業が始まったのが、明治・大正期だった。成し遂げたのは、一代で財閥を築いた事業家・浅野総一郎だ。
海運業を営み、海外の港湾都市を見てきた浅野は、経済発展には臨海工業都市が必要と、明治41年に鶴見・川崎の地先約140万坪の埋立認可を神奈川県に提出。同45年には安田財閥・安田善次郎らの協力を得て、鶴見埋立組合を設立し、準備を進めた。
大正2年、ようやく県からの認可が下り着工。同11年に造成されると企業が次々と進出し、工業地帯が形成されていった。日本の発展を大きく支えた京浜工業地帯の誕生である。これにより、鶴見には全国各地や海外から多くの若者が集まり、「工業の街」として栄えることとなった。
◇ ◇ ◇
京浜工業地帯の隆盛とともに産声を上げたのが、大正15年に開業の鶴見臨港鉄道(現JR鶴見線)。当初貨物線だったが、昭和5年に旅客化。当時、路線の走る埋立地には地名がなく、駅名は浅野を冠した浅野駅を始め、安田善次郎からとった安善駅など、埋立事業とゆかりのある人物から付けられている。
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