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鶴見区 コラム

公開日:2017.02.02

―区制90周年記念―【連載【2】】
鶴見90年のあゆみ
「明治・大正期」

  • 鶴見臨港鉄道着工時の運河への橋架設の様子とうよこ沿線編集室発行『わが町の昔と今 第7巻鶴見区編』より

【臨海部埋立事業】



 現鶴見区の面積の実に約3分の1を占める埋立地。臨海部における壮大な埋立事業が始まったのが、明治・大正期だった。成し遂げたのは、一代で財閥を築いた事業家・浅野総一郎だ。



 海運業を営み、海外の港湾都市を見てきた浅野は、経済発展には臨海工業都市が必要と、明治41年に鶴見・川崎の地先約140万坪の埋立認可を神奈川県に提出。同45年には安田財閥・安田善次郎らの協力を得て、鶴見埋立組合を設立し、準備を進めた。



 大正2年、ようやく県からの認可が下り着工。同11年に造成されると企業が次々と進出し、工業地帯が形成されていった。日本の発展を大きく支えた京浜工業地帯の誕生である。これにより、鶴見には全国各地や海外から多くの若者が集まり、「工業の街」として栄えることとなった。



◇  ◇  ◇



 京浜工業地帯の隆盛とともに産声を上げたのが、大正15年に開業の鶴見臨港鉄道(現JR鶴見線)。当初貨物線だったが、昭和5年に旅客化。当時、路線の走る埋立地には地名がなく、駅名は浅野を冠した浅野駅を始め、安田善次郎からとった安善駅など、埋立事業とゆかりのある人物から付けられている。

 

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