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神奈川区 社会

公開日:2025.08.14

80年前の横浜大空襲
史料で読み解く区内被害

  • 三ツ沢墓地内の横浜戦災者慰霊碑

 神奈川区をはじめ、旧市域の市街地で多くの命が奪われた1945年5月29日の横浜大空襲。その被害を、区誌などの史料から読み解く。(今年5月29日号発行記事の再編集です)

東神奈川が標的

 米軍は横浜大空襲で、東神奈川駅周辺をはじめ5カ所を目標地点に設定。集中的に攻撃した。

 区制施行50周年時に発行された『神奈川区誌』によれば、500機を超える数のB29戦闘機などが横浜に襲来。午前9時23分からおよそ1時間近くにわたり、44万個に近い数の焼夷弾が市内に落とされた。

 空襲直後の発表では、市内の被害は罹災者31万1218人、全焼7万8949戸、死者3649人、重傷1655人、軽傷8542人、行方不明309人。同じ報告のなかで、神奈川区内での被害は焼夷弾約5万個、死者598人、重傷328人、軽傷5850人、罹災者6万4059人、全焼1万6425戸となっている。調査が進むにつれ被害は増えていき、最終的な空襲全体の死者数は現在、8千人以上ともいわれている。

三ツ沢墓地に慰霊碑

 被害の記録や鎮魂を目的に、市内各所に戦災者を弔う追悼施設が戦後建てられた。横浜市による戦没者追悼式が毎年行われる、三ツ沢公園内にある慰霊塔は西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者の御霊を安置するため、1953年3月に建設されたもの。

 この慰霊塔とは別に、三ツ沢墓地の中にも戦災者の追悼施設として、横浜戦災者慰霊碑と合掌の碑、戦災遭難者諸霊供養塔がある。慰霊碑は横浜市、合掌の碑は横浜戦災遺族会がそれぞれ建立した。

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