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高い目標に挑み続けるのは当たり前 ここでいいやと思うことが一番怖い

スポーツ

公開:2019年1月1日

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読売巨人軍 菅野 智之さん(29歳) 背番号:18 ポジション:投手 身長/体重:186cm/92kg 生年月日:平成元年10月11日(読売巨人軍 公式サイトより)
読売巨人軍 菅野 智之さん(29歳) 背番号:18 ポジション:投手 身長/体重:186cm/92kg 生年月日:平成元年10月11日(読売巨人軍 公式サイトより)

 歴史あるプロ野球界に数多存在する名投手。しかし平成最後の今年、日本球界最高の投手を尋ねた際、最も名前が挙がると思われるのは菅野智之(29)だろう。読売巨人軍の、また日本代表「侍ジャパン」のエースとして平成史に名を残す相模原市出身右腕に、野球、相模原、オリンピックへの想いを聞き、その足跡を平成の元号と共に振り返る。

 平成元年に誕生した菅野は、鶴の台小学校時代に、軟式少年野球チーム「東林ファルコンズ」で本格的に白球を追い始めた。その当時からマウンドが指定席。新町中学校ではエースとしてチームを県大会優勝に導いた。そして偉大な祖父、伯父と同じ、東海大相模高校に進む道を自ら選ぶ。「小中学校時代は、まさに”お山の大将”。その時、常に父に言われ続けた言葉が『上には上がいる』。高校に入ってその言葉を痛感しました」

 初めての挫折。それでも必死に練習し、自信と挫折を繰り返し味わう日々を送った。しかし、甲子園のマウンドに立つ夢は叶わなかった。「文句なしの力をつけてからプロへ」。その思いを胸に東海大学に進学すると1年から主戦として活躍。4年秋には最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞など賞を総なめにした。

 平成24年に念願の読売巨人軍に入団。翌25年3月に初マウンドを踏んだ。2試合目で初勝利を飾ると全27試合に登板。新人ながら13勝を挙げる活躍をみせた。

 翌年以降も巨人軍のエースに相応しい活躍を重ね、数々のタイトルを獲得。最多勝利投手賞2回、最多奪三振2回、最優秀防御率4回、ベストナインとゴールデングラブ賞にも3度ずつ選出された。さらに先発投手の最高の栄誉と言える沢村栄治賞を29年、30年の2年連続で受賞。名実ともに日本を代表する投手となった。

常に高みを

 平成27年にWBSCプレミア12、29年にはワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出され、世界の強打者とも対戦した。成績とともに年々上がっていく周囲の期待と重圧。それでも変化を恐れず、自分が良いと思うものは何でも取り入れてきた。

 「高い目標に挑み続けることは、苦しいことは苦しい。でもそれは当たり前で、その中で自分を高めていかなければならない。そうしないと自分が自分でなくなるような気がする。ここでいいやと思うのが一番怖い」。その口調はまっすぐで、力強い。

 次に見据えるのは、新元号で迎える東京オリンピック。「あと1年半しかないのかというのが、今の素直な実感」としながら、そこに向けて特別なことを行うつもりはない。「どんな状況でも調整方法、練習方法は変わらない。そのうえで、大舞台に向けて気持ちをどう持っていくか、そこまで含めて力を出し切れるかが選手の実力だと思います」と堂々と言い切る。

 オリンピックの野球競技では、横浜スタジアムが会場に。神奈川県で生まれ育ち、高校でも幾多の熱戦を繰り広げた思い出の場所だ。「ハマスタは慣れ親しんだところ。地元の皆さんの応援が力になると思う。その大声援を裏切るようなプレーはできないというプレッシャーも感じるけど、それに応えることが、選ばれた選手の使命でしょう」

相模原は”故郷”

 高校・大学時代は寮生活だったものの、生まれ育った相模原には強い思い入れがある。「山も川も自然が多いですし、育った街ですから。今こうして東京に住んでいても、相模原っていう言葉を聞くと何か嬉しいですし、車の相模ナンバーを見つけると、懐かしい感じもする。故郷という気持ちが強いですね」。相模原に住んでいた時、よく遊んでいたのは相模大野駅、思い出に残っている場所は試合をしたことも観たことも多い相模原球場だという。「今でもたまに近くを通ると、すごく懐かしいです」と微笑む。

 平成27年に相模原市とスポーツ振興に関する協定を結び、スポーツ大会開催などのため寄付を続けている。これも自ら市に提案した。「微々たるものですが、何かの形で地元に貢献したいと思っています。例えば東京オリンピックに関連して何かできることがあるとすれば、それも一つの活動になるかと考えています」

好きなもので一番に

 野球少年はもちろん、相模原の子どもたちにとっては地元出身のスターだ。第二の菅野を目指す子どもたちに対しては「僕の一番の強みは、野球が好きということ」とした上で、「好きという気持ちがあれば頑張れるし、一番になりたいという気持ちが生まれる。それが大事だと思う。僕はいまだにそれを持ち続けています。楽しいっていう感覚はどこか消えちゃいましたけど」と苦笑する。これは野球に限らず、全てに共通すること。「一番好きなもので、一番を目指して頑張ってほしいなという思いです」

 最後に「平成」という時代について聞いてみると「超むずいな」と笑ったあとで「ただ、これじゃあだめだなと思ったのは、そう聞かれて平成の30年間で何があったかを思い返した時に、何も浮かばないんですよ。自分も結婚して子どもが生まれて、次の年号になるわけですよね。その時、子どもから『お父さん、平成の時代に何やってたの』と聞かれたとき、しっかり答えられるようにしておかないといけないですね」
 

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