箭幹八幡宮 33年ぶり本殿を開扉 獅子舞や神輿巡行も
箭幹(やがら)八幡宮は9月14(土)、15日(日)に33年ぶりの「奥宮門扉大祭」を開催する。これは神像を祭っている本殿を開放し、参拝するもの。祭りは獅子舞や神輿巡行、100人を超える大規模な稚児行列を予定している。
奥宮門扉大祭では応神天皇をかたどった木彫りの像が安置されている拝殿が開放される。この神像は加藤崇雄宮司も「3回目」と話しており、大祭の時以外は関係者でも目にすることはできない。
神社の歴史
戦国時代、北条氏の配下であった小山田氏は現在の町田、相模原中央区・同南区一帯を治めていた。その小山田氏の氏神を祭っていたのが箭幹八幡宮である。「発見された古い額からは”元亀山”という年号表記があることから、織田信長の統治時代にはすでに神社は存在していた」と加藤宮司。そのほか公式な文書などはほとんど残っておらず、加藤宮司は祖父の代から口伝で歴史を受け継いできたという。
神仏習合の名残
境内には明治期までの長い間、神仏習合の状態が長かったために仏教由来のものが多く存在している。拝殿前に建つ鳥居には卍の印が見え、宝物の一つとして阿弥陀如来が納められている。また、境内には釣鐘が置かれている。
明治以前は宮司ではなく別当という役職が神社の管理を任されていたが、北条氏の敗戦とともに小山田氏がこの地を去ったことで手当てが支払われない不遇の時代もあったという。加藤宮司は「明治の神仏分離の際には、もしかしたら寺になっていたかもしれなかった」と話していた。
神輿と獅子舞
大祭の初日には毎年必ず泣き出す子どもがいるほどの迫力の獅子舞が登場する。神社周辺地域を練り歩いて邪気払いを行う巡行の際には、事前に地元住民の家を「獅子宿」という練習場所として使用。祭の当日にはその獅子宿で食事をとり、庭で舞を行ってから巡行を開始する。この風習を続けているのは町田市内でも同神宮のみである。
また神輿も周辺地域を練り歩くが、これには木曽、矢部、根岸町の神輿会が参加し、3基の神輿が担がれる。この巡行の際には神を神輿に分霊することで神が各町内を巡り、人々に恵みを授けに行くという意味がある。
大祭スケジュールは14日に式典(午前10時〜)、奉納獅子舞(午後3時〜)、奉納神楽(4時〜)。15日に神輿巡行(午前9時〜、宮入午後9時)、稚児行列(10時30分〜)、舞踊や歌謡などの奉納演芸(午後6時30分〜)。
問合せは同八幡宮【電話】042・797・0447へ。
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