市内三ノ宮の能満寺(松本隆行住職)でこのほど、本堂の歴史について記された古記録が発見され、本堂がかつて大山十二坊の内のひとつ「喜楽坊」を譲り受けたものだということが分かった。同資料には他に、過去の本堂の焼失についてなど、新たな歴史の根拠となる事柄が書かれており、今後も解読が進められていく。
臨済宗建長寺派能満寺は、貞和元年(1343年)に大覚派の無印素文禅師を迎え開山されたとされている。本堂は、1478年に兵火により1度焼失。その後、江戸時代にも全焼する火災に見舞われ、現在の本堂は、明治時代に大山寺の客殿を払い受け、改修されたものだと伝えられていた。
同寺では、本堂の老朽化に伴う改修工事が今年予定されており、11月頃から解体作業が開始される。それに伴い、本堂内に多く保存されている資料を整理していた際、本堂の歴史について事細かに説明されている古記録を発見したという。
明治初期頃のものだと推測される古記録によると、江戸時代に能満寺本堂が焼失したのは弘化3年(1847年)で、この時の本堂の大きさは、61・5坪。その後、農家の古屋を買い受け、仮の本堂として使用していたが、1870年に17世石門僧浄和尚が大山十二坊の内の喜楽坊を譲り受け、再建したものだと記されている。
大山十二坊とは、大山寺を構成する寺院のこと。喜楽坊はその内のひとつで、現在の大山阿夫利神社下社から見晴台へ続く道付近に建っていたとされる。
松本住職は、「これまでの言い伝えでは分からなかった新たな根拠が分かりました。伊勢原は歴史が深いところ。まだ埋もれている資料がたくさんあるのではないでしょうか。今後も発見していけたら」と話した。
発見された資料は他に、ご朱印について書かれたものなどもあり、今後も解読を進めていくという。
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