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伊勢原 文化

公開日:2026.05.16

【寄稿】万田の祭り文化を後世につなげ平塚市万田の愛宕神社で江戸時代の神輿を継承する「愛神會」 タウンニュース市民ライター「相模国神社祭礼/添田悟郎」

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例大祭に密着

 平塚市万田の鎮守である愛宕神社では毎年4月の第1日曜日に例大祭が執り行われ、祭り囃子を奏でる山車に先導されながら、江戸時代の文政元年(1818年)に建造された神輿が万田地区を練り歩く。令和8年(2026年)は前日の宵宮に豪雨に見舞われるなど直前まで悪天候が続いていたが、4月5日の例大祭当日は天候に恵まれ、桜が舞い散る中で盛大な神輿渡御が行われた。今回は、昨年と今年の2回に渡って密着取材を行った愛宕神社の祭礼と、神輿を継承する氏子団体である「愛神會(あいしんかい)」を紹介する。

「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。

神輿の歴史

 愛宕神社の創建年代は不詳であるが、天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると万田村の鎮守を「愛宕社」としていることから、江戸時代後期には既に存在していたことが伺える。同書によると祭礼日は旧暦の6月24日であったが、その後は4月17日になり、サラリーマン世帯の増加と共に現在は4月第1日曜日となっている。かつての祭礼では前日に氏子全員で幟を立て、青年が中心となって余興の舞台を立てた。また、“オコモリ”といって宮番の人が6〜7人で、祭礼の前日の晩に神社で一晩を過ごしたという。

万田の地元では愛宕神社の神輿が相模川の東向こうから譲られて来たという言い伝えがあったが、長らくの間、具体的にどこの地区からいつ頃に譲渡されたかは分かっていなかった。平成29年(2017年)11月に愛神會が老朽化した神輿の点検をしたところ、芯柱に「文政」の文字があることに気づき、翌平成30年(2018年)3月に元平塚市博物館長の土井浩氏を境内に招いて文字の鑑定が行われた。墨書を確認した結果、文政元年6月に大工棟梁であった高橋儀右衛門が菱沼村(現在の茅ヶ崎市)のために神輿を建造した可能性が高く、その後に菱沼村から万田に譲られたと推測される。

衰退の危機を乗り越え 〜青年会の終焉と愛神會の誕生〜 / 会長:吉川竜海さん

 かつて万田では青年会が組織され、神輿は青年が中心となって村中を担ぎ回っていた。青年会の定年は40歳で、昔は長男しか担げなかったという。遠く茅ヶ崎の地から平塚の西南端にある万田へと、江戸時代に建造された神輿が譲渡されたことを考えると、当時の万田の祭礼では盛大に神輿渡御が行われていたことが想像される。しかしながら、時代の流れと共に会員は減少し、1980年代には神輿が担げない時期があるなど、万田青年会は危機的な状況を迎えていたのである。

 現在、愛神會の4代目の会長として祭りの運営に携わる吉川竜海さんは、地元の万田で長男として生まれ育った。子供のころから地元の子ども神輿を担いでいたが、中学と高校では部活動に専念していたため、祭りには縁が無い生活を送っていた。大学生になると父親から「長男なんだし40歳までだから行って来い」と言われ、仕方なく青年会に参加するようになったが、知っている者は殆どおらず、何より祭りに参加している人たちが怖かった。そうこうしながらも、地元の例大祭だけは参加する20代を過ごしていたが、40歳定年だと神輿会として後が続かない事態に直面し、平成11年(1999年)に青年会を解散して定年のない「愛神會」へと名称を変更することになった。

 青年会の時代は嫌々参加していた吉川さんであったが、20代後半になると仲間が増えてだんだんと楽しくなってきた。様々なことを頼まれ、いろいろと仕事を覚えることができた。そのような折に初代会長が退任すると、愛神會は一気に世代交代が図られた。2代目会長は40代で、年下の副会長が欲しいとのことで吉川さんが抜擢された。副会長就任と同時に大磯甚句を本格的に練習することとなり、月2回の練習会が始まると、会の主要メンバーと顔を合わせる機会も多くなった。しかし、ふと周りを見渡すと自分より歳上ばかりで歳下はごくわずか。このままでは近い将来、会が存続しなくなるという危機感を覚えた。そこで会員募集のチラシを作成し、休日に万田全体にポスティングを行ったが、一番効果があったのは口コミや紹介によるものであった。幼稚園や小学校のお父さん仲間、仕事仲間や同級生など、知り合いの知り合いまでとにかく声を掛けた。これにより次第にお試し参加の人がポツポツと現れ、だんだんと会員が増えていった。

 そして迎えた令和3年(2021年)に吉川さんは会長に就任し、その後は若い人材も増えて今では50名近い会員数となっている。「義務ではなく、みんなが好きで集う、笑顔があふれる会で在りたいと考えています。万田には約3,000世帯が暮らしていますが、なかなか新しい人が増えないのが悩みです。趣味が多様化し、地元行事への参加率がどんどん低下している今日において、いかに会員数を増やして次世代へバトンを渡すかを日々考えています」。自分たちも楽しむが、周りも楽しむ。吉川会長は愛神會の仲間と共に、今日も友好団体として他地区の神輿担ぎの応援へと向かう。

地域に根差した会へ 〜宵宮を住民との懸け橋に〜 / 副会長:須田将志さん

 宵宮では朝から式典の準備やテント張り、神輿の捩り掛けなどが行われる。愛宕神社では例大祭当日の神輿渡御の他にもう一つ大きなイベントがあり、それが宵宮で開催される万田住民のための模擬店(屋台)である。私は昨年の宵宮を取材させて頂いたが、調理器具や食材を準備し、夕方になると焼きそばや焼き鳥、駄菓子やチョコバナナなどを求めて多くの万田住民が訪れる。また、触れ太鼓として太鼓の山車が万田地区を巡行し、境内に設置された太鼓で演奏される祭り囃子も宵宮に花を添える。

 現在の愛神會の副会長は秋山徹さんと須田将志さんの2人体制で、私が万田の祭礼を取材するきっかけになったのが、SNSのフェイスブックで知り合った須田さんである。須田さんは吉川さんと共に青年会へ入会し、2人とも嫌々参加していた。楽しみといえばタダで酒が飲めるくらいしかなく、オヤジたちと一緒に飲むのも面白いとは思っていなかった。そんな須田さんに転機が訪れた。20代後半に職場の同僚が神輿をやっているということで、海老名や茅ヶ崎へ担ぎに行った。他地区で神輿渡御について多くの事を学び、更に地元の神輿渡御に仲間を呼ぶことで神輿が楽しくなっていった。しかしながら、愛神會の初代会長の退任に伴い須田さんが30代前半で統制長に任命されると、再び試練が襲い掛かって来たのである。当時、愛神會では統制が組織されていなく、須田さん1人だけの芯出しは余りにも辛かった。それでも、外部で学んだ経験をいかしながら、後方の芯出し係、意思の伝達係、箪笥係など、見よう見まねで少しずつ組織を作っていった。そして平塚六会(一眞会・同楽会・瓢箪睦・神谷会・大隅睦・愛甲睦)から甚句を習うと、全ての統制が自分達で行える様になったのである。

 その頃になると責任感も生まれ、折角やるなら楽しくやらねばと思い、吉川さんと一緒に祭礼全体の管理を任される様になった。宵宮を盛り上げるために色々工夫すると、次第に宵宮に来る人たちが増えていった。「愛神會の元は青年会なので神輿だけが活動ではなく、地域活動をすることも取り組みの一つです。神輿を担ぐのは苦手だけども準備や裏方などを楽しくやってくれる人を仲間に引き入れたのは竜海の功績で、宵宮が多くの万田住民にとっての年中行事になるなど、今では愛神會は地域に根差した会となっています」。これまでの基礎を築き上げてきた先人たちへの感謝を胸に、今年もまた須田さんの甚句が万田に響き渡る。

笑顔があふれる神輿渡御 〜万田の伝統と文化を胸に〜 / 統制長:出縄真人さん、会員:前田珀さん

 昨年の神輿渡御は昼頃に雨に見舞われて子供神輿が中止になり、今年も大祭直前まで天候が心配されたが、10時にお立ちした神輿は一度も雨に降られることなく、18時に宮入りを迎えた。昨年から愛神會の統制長を務める出縄直人さんは、地元で江戸から明治に掛けての創業と伝わる工務店の5代目で、自身が法人化して経営を続けている。また、平塚市消防第7分団の分団長を務めるなど、地域活動に貢献している人物である。そんな出繩さんは愛神會に入会してから15年ほどになり、長年、統制をやってきたことから統制長に抜擢された。統制とは神輿渡御の準備と渡御中の総指揮を執る役目で、神輿渡御は出縄さんの一本締めで幕を開ける。統制長の仕事は多岐にわたり、就任当初はどこまで出来るのか不安を感じていたが、愛神會だけでなく神輿の協力団体にも支えられて、2年目を盛大な宮付けで締めくくったのである。「会員みんなが大好き過ぎて楽し過ぎるのですが、立場的に大変で嫌になることもあります。でも、寝て起きるとやっぱり何か色々やりたくなっちゃうんです。だから愛神會が大好きなんでしょうね」。渡御中にみんなの笑顔があふれる例大祭を目指し、統制長として須田さんの意志を受け継ぐ出縄さんの挑戦は続く。

 昨年の神輿の準備で精力的に動く一人の青年の姿が目に入った。今年の4月に高校1年生になった前田珀さんは、統制の一員である父親の前田亮さんと一緒に親子で愛神會の活動に参加している。珀さんは神輿を担ぐときの一体感や熱気がとても好きで、神輿やお祭りが地域の人たちをつなぐ大切な文化だと感じている。また、珀さんは太鼓を叩くのも好きで、愛宕神社の祭礼では神輿と太鼓を掛け持ちする姿が印象的であった。さらに、珀さんはサーフィン選手としても活動しているため、他地区の応援にはあまり参加できないが、愛神會の会員が珀さんの活動に理解してくれるので、サーフィンも神輿も全力で活動できるという。「愛神會で教えてもらっている大磯甚句を習得し、後世に残していきたいと思っています。最近は担ぎ手だけでなく、甚句をしっかり唄える人も減ってきていると聞いています。だからこそ僕が教わってきた大磯甚句を沢山の人に知ってもらい、神輿に少しでも興味を持って欲しいと思っています」。地域の伝統を大切にする想いを甚句の唄と太鼓の音に込める珀さんは、今後も愛神會だけでなく周囲の神輿関係者に大きな活力をもたらすであろう。

取材を終えて

 万田の皆さんにはたいへん申し訳ない話であるが、万田といえば貝塚のイメージしかなく、平塚市の隅の方に位置する愛宕神社ではそれほど盛大な祭りは行われていないと想像をしていた、しかしながら、昨年の取材で私のイメージは大きく覆されたのである。心地よい音色を奏でる祭り囃子の山車に先導され、200年以上の歴史を持つ重厚感のある神輿は、しっかりと組織された愛神會による統制と多くの友好団体の協力により、盛大に神輿渡御が執り行われている。このイメージのギャップは青年会の衰退の危機から、愛神會として急激な発展を遂げた証であると思われ、ここまでの道のりは相当険しいものであったに違いない。また、万田の魅力は宵宮で催される地元住民のためのイベントにも表れているように、地元を大切にしたいという想いがあふれている事に尽きると思う。今後も、この素晴らしい愛宕神社の祭礼が、後世に末永く伝承されることを心よりお祈り申し上げます。神輿渡御と同様に最後は吉川会長の言葉で締めたい。

 「この地元の伝統文化であるお神輿や太鼓をどうつないで行くか、どう会員を増やしていくかが私に課せられた使命だと考えています。今後も安心と思える時が来るまでは会長で頑張ろうと思います。そのためには会長や副会長、統制長だから偉いわけではなく、その役職の重さを肝に銘じ、その役割を全うすることを第一に考えながら会を運営し、今後も継続して発展させていきたいです」。

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