戦後、捕鯨船団の母港として栄えた長浦港。
当時の食糧難を支えた「鯨」の歴史が埋もれつつある中、非営利団体「食の安全研究会」は今月13日(土)、鯨文化を後世に伝える活動の一環として「伝統食学習会」を開く。
船団の母港だった「長浦」
日本の伝統的な食事について研究している同会。代表を務める鷹取町在住の丸山克彦さんは「古くから日本人の食を満たしてきた『鯨肉』に着目。拠点のあった長浦の歴史的変遷も含めて後世に伝えていくべき」と取り組みの意義を話した。
現在、海上自衛隊と民間企業によって使用されている長浦港。戦後間もない頃から、大洋漁業株式会社(現マルハ)などの捕鯨船団の母港として一時代を築いた。鯨はタンパク質が豊富で、肉から臓器まで骨以外のほとんどの部分が食せたため、戦後の食糧難の時代に重宝され、同港から全国に発送されていた。昭和30〜40年頃の最盛期には出港・帰港の際に、近隣の田浦小学校や長浦小学校の児童らが集まり、式典を行うなど、同地区の「文化」となっていた。
しかし昭和50年頃から、欧州を端に発する反捕鯨の世論やオイルショックの煽りを受けて以降、同港を母港とする捕鯨は縮小の一途を辿っていき、現在は行われていない。捕鯨船団の拠点であったことを知っている人の数も少なくなってきており、丸山さんは「今の子どもたちは給食に鯨が出ていたことも知らない。地域の歴史と絡めて伝えていきたい」としている。
13日(土)の学習会では現在調査捕鯨活動を行っている共同船舶株式会社の担当者を招いて現状を説明してもらった後、各種の鯨料理を味わう。参加費ひとり1000円。時間は午前10時半から午後2時まで。会場は追浜行政センター3階調理室。定員15人(先着)。申込み・問合せは丸山さん【電話】046・865・2550
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