「観音崎」の地名のルーツとされ、1986年に焼失した観音像を復元する計画が持ち上がっている。鴨居の観音崎公園内に設置し、歴史やゆかりを紹介するシンボルにしたい、と地元県議や市内在住の彫刻師らが中心となり動き始めている。
観音崎の地名は、奈良時代の僧、行基が全国行脚の途中にこの地を訪れ、船の安全のため十一面観音(船守観音)を現在の観音崎公園内の海蝕洞穴に納めたことに由来した―と伝えられている。このあたりには観音堂が創建され江戸時代末期まで航海・漁業の安全を祈願する名所として漁民や船乗りたちに親しまれていた。1880年に陸軍砲台が築造されたことで、場所を鴨居の亀崎(現在の3丁目付近)に移したが、1986年に火事によって堂と観音像が焼失。以降は復元されることなく、現在に至る。
計画しているのは県議の牧島功氏を中心とした有志のグループ。「地名の由来になっている仏像を復元し、観音崎が持つ歴史を多くの人に再認識してもらいたい」と牧島氏。
寺院跡地に設置
観音崎公園内BBQ場を東に進んだ「観音寺跡」の一角に仏像を設置する計画で、彫刻は秋谷在住の仏師・梶谷叡正氏が行う。堂とともに観音像を納め、傍らには解説を記した看板も置き、歴史紹介のシンボルにしていきたい考えだ。
現在、管理団体や資金調達の見込みなどは立っておらず、同公園や観音崎博物館に説明を行っている段階。資金についてはクラウドファンディングなども検討。今年中に団体を立ち上げ、来年夏には完成させたい考えだ。
かつては海蝕洞穴に
観音崎公園内にある海蝕洞穴。聖武天皇の御代741年(天平13年)に、諸国修行の途中に赴いた高僧行基が、この洞窟に住む大蛇によって漁民が苦しめられていることを聞き、退治し観音像を設置したと言い伝えられている。
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