横須賀・三浦 コラム
公開日:2024.02.02
"海の隼"をあるく
〜按針が見たニッポン〜38 駿府編(2)作・藤野浩章
将軍を秀忠に譲り、「大御所」として駿府(すんぷ)城へと移った家康。もちろん引退する気などさらさら無く、ますます血気盛んだった。
しかし困るのは部下たちだ。二元政治はやがて終わるわけだから"どちらの派閥に属すか"が大きな関心事だった。
「按針どのは誰が見ても駿府派、先ゆきを考えると会われたほうがよろしいと思うのですがな」と三浦浄心(じょうしん)は忠告している。各派の側近たちの仲違(たが)いが噂されるうえに、秀忠派には按針とは水と油の仲と言えるヤン・ヨーステン(耶揚子(やようす))がいたからだ。
しかし、当の按針はまったく意に介さない。人間関係がどうであろうと、やるべきことを愚直に進めるのみと、まるで武士や職人のような側面を見せる。
その根拠になっていたのが、日本の交易政策。実は家康はこの頃、積極的な世界外交を考えていたのだ。秀吉の「唐(から)入り」で悪化した諸外国との関係を正し、交易によって経済を盤石(ばんじゃく)にする算段。さらに急速に変化しつつあったヨーロッパ諸国による覇権争いも加わり、大きなチャンスが到来しようとしていた。その中で日本はどう利を得ていくか?──家康のグローバル戦略に、按針は欠かせないものだったのだ。それは将軍が変わったとしても変化は無い、と按針は自信を持っていたのだろう。
しかし、そこには2つの壁が立ちはだかった。1つは、キリスト教を嫌悪する秀忠とその側近たち。そしてもう1つが、按針の努力でようやく交易が実現しつつあったオランダの商館長、スペックス。言わば"身内"たちの壁だった。
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