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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.05.01

三郎助を追う ~もうひとりのラストサムライ~ 第42回 文・写真 藤野浩章

  • かわら版「関東類焼大地震」(東京都立中央図書館)

    かわら版「関東類焼大地震」(東京都立中央図書館)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

 夜半に起こった首都直下型地震で、江戸の中心部から下町、横浜にかけては震度6以上、近畿地方まで広範囲に揺れたと推定され、各地で火災が発生した。

 特に江戸城近辺の被害は甚大で、現在の丸の内にあった大名小路(こうじ)では55家すべてで被害を受け、全体でも266家のうち116家で死者が出た。中でも水戸藩は、これにより重臣の藤田東湖(とうこ)が死亡。攘夷派の理論的支柱を喪失したことでコントロールを失い、後の桜田門外の変に繋がる遠因になってしまった。

 さて本書では、津波により昌平丸が巻き込まれ、マストと舵が折れてしまう。一方、鳳凰丸は三郎助の的確な判断でほぼ無傷だった。

 しかし、どうやら実際に津波は発生していないようだ。作者の大島は、あえて津波の場面を登場させることで、安政の大災害と両船の性能、そして三郎助と勝の人物像を一気に表したのだろう。思わず息を呑む展開を見せた上で、顔面蒼白の勝と三郎助が心を通じ合わせ"競争"が終結するというストーリーは、まさに小説ならではの見せ場と言える。実際の昌平丸も、時化(しけ)のためかマストが折れたという。これと潜在的な欠陥によって途中で修理せざるを得ず、航海が延びてしまったのだろう。

 ところで三浦半島の被害だが、詳細は分かっていない。しかし、長州藩が守る上宮田(かみみやだ)陣屋が倒壊して死者が出たという記録があるという。

 前年に起こった安政東海地震、南海地震に続いて、江戸直下を襲った地震。内でも外でも、まさに踏んだり蹴ったりの状況は、幕府の体力を急速に衰えさせるのに十分だった。

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