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逗子・葉山 社会

公開日:2025.08.29

「戦争絶対反対、皆で言おう」
103歳三田村さんが訴え

ずし平和デー

 戦争の悲惨さや平和の尊さ、命の大切さを子どもたちに伝える「ずし平和デー」が8月7日から12日まで行われた。7日のオープニングセレモニーで、戦闘機の整備兵として宮崎県の都城西飛行場や鹿児島県の知覧飛行場で特攻機を見送った103歳の三田村鳳治さん)=写真上=が、当時の体験を語った。

 1943年10月21日、明治神宮で行われた学徒出陣の壮行会に三田村さんもいた。二度と明治神宮に戻ってくることなく、死ぬんだと思った三田村さんは「秋くれば友と歩みし雨の外苑」と句を詠んだ。

 川崎、立川、三重、宮崎、鹿児島と勤務地を移り、鹿児島の知覧飛行場に着いた時には上官から「貴様らは死ぬんだから髪の毛と爪を切って遺書を書け」と言われたことが「本当に辛かった」と語った。知覧では特攻兵が兵舎の裏の松林で泣いている姿を見たという。また「『母ちゃん(妻)に会いたいよ』という仲の良かった隊員の言葉が耳に残っている。戦後、戦友会でその奥さんと会った。当時、お腹にいた子どもが立派になっていて…」と涙ながらに声を絞り出した。

 常に死と向き合う状況だった一方で、ある上官の言葉が三田村さんを救った。沖縄に向かおうとした三田村さんに「死ぬのはいつでも死ねる。これからの日本をどうするか考えているか」と言われ、思いとどまったのだという。

 会場の人たちに向け三田村さんは「軍国主義の時代は自由にものも言えなかった。今は違う。戦争が始まりそうだったら、みんなで『戦争はだめなんだ』と言って止めてもらいたい」とメッセージを送った。

葉山で平和を考える一日

 葉山町では8月7日、葉山町福祉文化会館で「葉山で平和を考える一日」が開催された。

 ホールでは講演会「記憶を越えて福島富子さんが語る『生きる』という事」が行われ、葉山原爆被災者会会長で神奈川県原爆被災者の会副会長の福島富子さん(80)=写真下=が登壇。

 福島さんは生後7カ月の時に長崎県で被爆。4歳で五島列島の伯母の家に預けられ、被爆した事実を知らずに過ごし、ここでの暮らしで着物に親しむようになった。放射能の影響を受けることなく健康に育ててもらった恩返しのつもりで、被爆証言の際には着物を着るようにしているという。

 24歳の時に兄の勧めで被爆者手帳を取得。被爆者の会に所属するも先輩から「記憶がないなら語る資格はない」と言われ、自身もそう思い込んできた。

 しかし、東日本大震災の福島原発事故を機に、「声を上げなければ」と思い立った。ある中学校の先生から「記憶はなくともその後の生き方や苦しみは被爆していなければなかったはず。その経験を知りたい」と言われたことから語り部としての活動が始まった。

 その後は積極的に活動し、2015年には核拡散防止条約運用検討会議に合わせ渡米。現地の学校で体験談を話したり、デモにも参加し核廃絶を訴えた。昨年、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞し、オスロに赴いた際には、平和センターに着物を着た福島さんの幕が飾られるということがあった。

 今年はピースボートにも乗船。直接顔を合わせて被爆体験を語ることで、原爆や戦争の残酷性の理解が深まっていくと感じたという。ここで作られたビデオで福島さんは次のように語った。「いろんな意見の人がいる。攻撃されるから戦争をしなきゃいけないとか、日本も核を持つべきだとか。そういう人たちが少しでも考えを変えてくれるのを望みます」

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