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公開日:2015.08.14

鎌倉が日本が熱狂したカーニバル

  • 【1】東京駅前でパレードするミス・カーニバル【2】スピーチする横山隆一【3】鎌倉市民座前の若宮大路の様子(左の建物は郵便局)【4】SKD(松竹歌劇団)もパレードに華を添えた。写真はすべて高柳さん提供

最盛期は東京でパレードも

 戦争により中断した8年間を除き、1934年から62年にかけて毎年開催されていた「鎌倉カーニバル」。その回顧写真展が8月17日(月)から開催される。今回は主催する高柳英麿さんの協力を得て、本紙でも当時の様子を振り返る。



 「海の世界3大行事」「日本の夏の風物詩」―――。かつてこう呼ばれた鎌倉カーニバルの発案者は、小説家で鎌倉町議会議員でもあった久米正雄だった。



 久米は1928年、フランスのニースで謝肉祭(カーニバル)に参加、街中が熱狂する様子に感銘を受け、そのアイデアを鎌倉に持ち込んだ。仲間や住民とともに1934年、第1回鎌倉カーニバルを実行委員長として一から作り上げた。



 その規模は年々拡大。戦況の悪化による8年間の中断を経て、47年に復活した際には、横山隆一率いる漫画家集団がカーニバルに参加、観客を沸かせた。高柳さんは「戦争の暗い雰囲気を引きずっていた人々を笑顔にした」とその時の様子を振り返る。戦後第2回目となる48年、初日だけで20万人もの人出があったと当時の記事は伝えている。



 当初は1日のみの開催だったが、56年の「行事日程」によると、期間は8月11日から19日までの9日間。「磯釣り大会」「柔道大会」「名画祭」「音楽祭」のほか、鶴岡八幡宮の境内で愛犬の容姿を競う「ワンテスト大会」といった催しも行われた。また、ミス・カーニバルによる東京での「行進」や「撮影会」、全国中継のNHK「のど自慢素人演芸大会」が行われるなど、日本の夏の風物詩として存在感を持っていたことがうかがえる。当時、鎌倉の海水浴場には毎年300〜400万人が訪れており、鎌倉の熱狂は全国に知られていた。



はしゃぐ鎌倉文士たち



 神官に扮する久米正雄、ミス・カーニバルの前で半裸になってスピーチする横山隆一、真剣な眼差しでミスコンの審査をする大佛次郎―――。



 鎌倉文士として知られるこうした著名人が、カーニバルで「はしゃぐ」姿が高柳さんの写真には収められている。「著名人が盛り上げ、なにより楽しんでいた。映画業界の全盛期にも重なり、秋に公開される新作をPRするフロート(飾り付けられた車)がパレードを彩った」と振り返る。トップレスの女性がフロートに乗り、観衆の視線を集めている写真もあり、聖俗一体となった当時の時代背景がにじみ出ている。



 その後、映画産業が斜陽になり、スポンサー探しが難航したことや、マイカーブームによる交通事情の悪化などから62年を最後に、カーニバルは中止された。



回顧写真展を開催



 そんな鎌倉カーニバルの回顧写真展が8月17日(月)から20日(木)まで、カトレヤギャラリー(小町1の5の27カトレヤビル2階)で開催される。午前10時から午後5時(最終日は4時)まで。約60点の写真が展示される。高柳さんは「ただ懐かしむだけでなく、これからの街づくりのヒントとなれば」と話している。問い合わせは同ギャラリー【電話】0467・23・2530へ。

 

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