秦野の中心地として栄えた本町四ツ角の老舗料理店「やなぎ家四ツ角本店(柳川清紀(きよのり)社長)」が来年1月31日をもって営業を終了する。多くの人に愛され、秦野の食文化を支えてきた同店に惜しむ声が寄せられている。
同店の創業は大正12年頃とされ、現社長の清紀氏の祖父、令次氏によってフルーツなどを商う店として四ツ角で出発した。当時の記録はなく、さだかではないというが、百年近い歴史を誇ることは確かだ。
四ツ角に行くなら「やなぎ家」へ
その後、現店舗の道を挟んだ向かいに料理屋「やなぎ家」を開店。秦野は日本三大葉タバコの産地として知られ、当時の四ツ角は葉タバコの出荷をする人たちが行列をなし、「四ツ角に行くならやなぎ家さんに」といわれるほどだったという。昭和30年ごろ、それまで横須賀の米軍基地で働いていた清紀社長の父、現会長の一朗氏が2代目を継いだ。元々店の手伝いはしていたというが、一時期外に出ていた一朗氏が呼び戻されたという。
昭和58年に現在地へ移転
四ツ角の向かい、現店舗の場所には昭和58年に移転。その間には246号沿いにあった旧商工会議所店、秦野市文化会館店などの支店を出店。秦野駅前ではビアガーデンやスナックなども経営していた。また、相模原市や厚木市、渋沢にのれん分けした店があったという。一朗会長は神奈川県飲食業生活衛生同業組合の理事長を20年にわたり務め、秦野の食文化の発展に努めた。
鰻のかば焼きが1日千人前も
平成15年に老舗料理屋の3代目に就任した清紀氏。「夏の風物詩といえる丑の日には、店頭でさばく鰻のかば焼きが1日で千人前以上売れることもあった。汗だくで対応していた」と振り返る。大学生だった現・巨人監督の原辰徳氏が鰻を食べに来店したこともあったという。清紀社長は閉店にあたり「大変残念なことですが、店の老朽化、そして後継者のことでこの決断をした」と話す。
閉店の報を聞いた人たちからは「たばこ祭の時に店の2階を利用するのが子どもの時のステータスだった」「四ツ角に行ったらやなぎ家だった。寂しい」など、サラリーマンや年配の人から惜しむ声が続々と寄せられている。
清紀社長は「長い間本当にありがとうございました。多くの方に支えられてここまで続けられました。文化会館店は来年1月13日まで。本店は1月31日まで営業いたします。それまで地域の人たちに精いっぱいの恩返しをしたい。ぜひお立ち寄りください」と話した。
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