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公開日:2023.08.03
中田喜直幸子夫人
名曲誕生の秘話 語る
生誕100年 旭区でも活動
「夏の思い出」や「ちいさい秋みつけた」など、今も歌い継がれる童謡の作曲者として知られる中田喜直。1968年に旭区(当時は保土ケ谷区)柏町に転居し、2000年に亡くなるまでを同町で過ごした。今年8月1日に生誕100年を迎えるにあたり、妻の中田幸子さん(87)に名曲誕生の秘話、喜直の素顔について聞いた。
父は「早春賦」を作曲した章、兄の一次も作曲家という、音楽一家に生まれた喜直。幼少期からピアノに親しんでおり、幸子さんによると「小学生の頃には自分でハーモニーを考えることができていた」という。小学生の時には、詩人の西條八十が編んだ詩集「日本童謡集」の中の詩にメロディをつける早熟ぶりを示していた。
その後東京音楽大学(現東京藝術大学)ピアノ科に進学。手が小さくピアニストとしての道は断念したものの、作曲家としての一歩を踏み出そうとしていた矢先、太平洋戦争が立ちはだかる。陸軍飛行隊に所属し、戦友の死を数多く経験した。終戦後の1947年、抑圧された状況から解放されたためか、「天から音が降ってくる」という体験をし、作曲家への道を一気に駆け上がった。
作曲へのこだわり
喜直は詩を最も大切にしていた。「先に詩があり、そこから情景を浮かべてメロディを乗せていた。自分に合わなければ作曲を断っていた」と幸子さん。
サトウハチローとのタッグで、1955年にNHKの依頼で誕生した童謡の名曲中の名曲「ちいさい秋みつけた」も同様。喜直は「サトウさんの詩にはリズムがあり、曲が作りやすい」と語り、サトウさんは「私の詩はすべて中田に回してくれ」と話すほど全幅の信頼を置いていた。
「夏の思い出」の作詞者である江間章子さんとも名コンビだった。当時尾瀬に行ったことがなかった江間さんが、想像で作詞。喜直も足を向けたことが無かったものの、詩から情景を浮かべ、曲を作り上げたエピソードが残っている。
夫人との出会い、区内移住
喜直は1953年にフェリス女学院短期大学音楽科講師に就任。同大学の声楽科に通っていた幸子さんと出会い、卒業後に結婚した。
1968年には、当時住んでいた東京・三鷹から、幸子さんの実家があった柏町に移住。自然が豊かな環境に住みたかったことから、幸子さんによると「こども自然公園をよく散歩していた」とのこと。
また、多趣味でもあった。「スキーや野球などのスポーツが好きだった。いい気分転換になっていたのでは」と幸子さんは振り返る。
童謡の他に、校歌も多数作曲。区内では万騎が原小、南希望が丘中などを手掛けた。校歌の作曲については、作詞者とともに可能な限り現地に行き、曲作りの参考にしていたそう。
残した童謡を後世へ
多数の童謡を作曲してきた喜直。幸子さんによると「童謡は言葉からくる温かさ、優しさを感じることができ、聴いて育った子に悪い子はいない」と考えていたという。
幸子さんは「作曲家が亡くなると作品は忘れ去られる」と危機感を持ち、「夫の仕事を後世に残していきたい」と先を見据える。
喜直は晩年、自らが指導する、地元の人を集めた女声合唱団「みずばしょう」を結成。亡後は、幸子さんがその遺志を受け継ぎ、サンハートを中心に活動を継続している。
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