戸塚区・泉区 スポーツ
公開日:2026.09.03
横浜高校野球部OB・中岡さん 名将が導いた背番号「1」 渡辺元監督の逝去悼む
横浜高校野球部の監督を長年務め、春夏計5度の全国優勝に導いた渡辺元智さんが8月17日に亡くなった。「名将」として全国に名を轟かせ、2015年に退任するまで多くの野球人を育て上げたことでも知られる。
2年生ながらエースに
2009年春、横高で2年生ながらエースナンバー「1」を任されたのは泉区出身の中岡真弥さん(33)。松坂大輔さんら偉大な先輩たちが背負った番号――。重圧もあったがチームはその年、神奈川の春季大会で優勝を果たした。
きっかけはその少し前。「監督さんから突然、『今日からアンダースローにしろ!』と言われたのがきっかけでサイドスローに。自分にとって大きな転機でした」
中岡さんは和泉小で野球を始め、少年野球・和泉タイガースでは全国大会3位に。その頃、初めて横高の試合を球場で目にした。「あのグレーのユニフォームもかっこよくて、応援もすごい。自分も横浜高校でやりたい」と心に決めた。
中和田中時代は硬式の横浜泉中央ボーイズへ。肩が強く、守備やけん制も器用で打撃でも四番を任された。関係者からも「プロに行くんだろう」と評されるほどだった。
当時の横高の平田徹コーチ、小倉清一郎部長もグラウンドに足を運び、念願の横浜高校には特待生で進学した。
筒香先輩らとともに
横高では1学年上に現在も横浜DeNAベイスターズで活躍する筒香嘉智選手が在籍。入部当初は渡辺さんの指導を直接受けることはなかったが、「全体ミーティングで『目標がその日その日を支配する』など、渡辺監督の有名な言葉は日々何度も耳にしました」。
中岡さんは高1の秋からメンバー入り。ただ、「似たタイプの投手が多く、その中では5番手という位置づけだったと思います」。フォーム変更を告げられたのはそんな中だった。アンダースローはうまくコントロールできなかったが、渡辺さんの「遊び感覚でいいから」との言葉を受けて試したサイドスローでは手応えがあった。
直後の春季大会3回戦。桐蔭学園に序盤から大量リードされ、敗戦ムードの中「結果はいい。来年の経験と思って」と送り出された。すると7回1/3を1失点に抑える好投で、チームも逆転勝ち。「よくやった!と笑顔で握手をしてくれた姿は今も焼き付いています。滅多に褒められないので」
「1」のユニフォームはその後に渡され、練習でも後ろで渡辺さんが見ることが増えた。課される練習も倍以上になり、「1番を背負い、生活の意識も変わりました」。
甲子園は叶わぬも
その夏は横浜隼人に準々決勝で敗れ、最後の夏を目指していたが3年春に肘の疲労骨折で手術をすることに。「折れながら投げていたのか」と渡辺さんも病院やリハビリに付き合ってくれたが悲願は叶わなかった。
中岡さんはその後、城西大、社会人野球と進んだ末、会社員として働きながら自身も中学生の指導実績を積んだ。今後また指導者として経験を生かす道を模索している。「そばでは『いいおじいちゃん』でもあった。でも離れてみて改めて偉大さを感じる。今後の人生も当時の言葉を大事にしながら歩んでいきたい」
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