本牧 気まぐれ歴史散歩 【26】 良質で豊かな水に恵まれビール工場が誕生した町
明治2年(1869年)山手に日本初のビール工場が操業しました。ビール醸造に適した地下水が得られたことから、その後も山手には他のビール工場も出来ました。その1つが皆様ご存知の麒麟麦酒となりました。
横浜市域は起伏の多い地形ですが、その多くは湧水が何万年もかけて大地に刻んだもので、豊かな水資源がある証拠です。山手や本牧にも今も多くの湧水や井戸が残っています。
水道水は道志村から横浜へと高低差や重力・圧力などの自然の力を利用して、山も谷も越える「逆サイフォン式」と呼ばれる方法で運んでいますが、地下水も同じ原理で不圧帯水層・被圧帯水層・難帯水層と呼ばれる地層の間を上り下りしながら流れています。そして地表から浸透する雨水が地下水を補給・加圧し、地中でろ過されながら、毎秒0・1cmから0・001cm未満の速さでゆっくり流れています。
現在は都市化により森林が減り、道路も宅地も舗装されたことで、地下水の供給や地層の保水・ろ過機能は低下しました。水量は減り、地表からのゴミや化学物質の浸透も影響して、飲料不適な湧水・地下水も増えました。
しかし、近年は災害時の水の確保の面から地下水の維持・見直しなども図られています。ビール工場を造るきっかけにもなった良質で豊かなこの町の水資源、これからも大切にしていきたいですね。
このあとは、このまま本牧通り方面へと坂を下って歩いていきたいと思います。
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