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公開日:2026.06.25
原地印刷 「簑沢台」の歴史知って 根岸ベース返還にあわせ、情報発信
米軍根岸住宅地区が6月30日、79年ぶりに全面返還される。その歴史的一歩の前に、隣接する「簑沢台(みのさわだい)」(中区簑沢29)にかつて横浜の一大印刷企業にまつわる特異な歴史があったことを知ってほしい―。そう語るのは、同地で唯一残る印刷会社「原地印刷」を営む原地哲夫さん(61)=南区中村町在住。知られざる簑沢台の歴史や自身の記憶をたどった手記などを基に、ウェブを通じて情報を発信している。
「文寿堂」の盛衰
歴史の鍵を握るのが、1880(明治13)年に馬車道で創業し、革手帳で成功した印刷会社「文寿堂」だ。第二次世界大戦中、閉鎖された根岸競馬場の二等馬見所に工場を構え、海軍の管理下で水に溶ける特殊な紙を用いた機密文書の印刷を担った。社員数は1千人を超え、当時の社長が国内の長者番付で4位になるほど横浜を代表する花形企業に。原地さんの祖父も同社の社員だった。
実は町名ではなく、その社員寮の長屋が連なった一帯を「簑沢台」と呼んでいる。戦後は米軍の管理工場となったが、小説など日本の一般書籍の印刷も行った。当時の社員や家族はベース内に入れる特別なパスを交付されていたという。しかし1950(昭和25)年、隠匿物資の内部告発が発端になった「文寿堂事件」を経て倒産。その後同社の職人たちが次々と独立し、印刷や製本会社が立ち並ぶ地域となった。原地さんの祖父は別の印刷会社に勤め、定年後に住居の一角で原地印刷を始めたという。
◇
4年前、原地さんはコロナ禍の時間を生かして文寿堂の歴史を調査。公の資料が乏しい中、家族や地域住民の話、自身の記憶を頼りに『簑沢台の記憶』として1冊にまとめた。「身近な場所だった」という隣接する根岸ベースや周辺の印刷会社との思い出と共に、地域の歴史も綴られている。
当初は自費出版のサンプルのつもりで作成したが当時を知る人がほとんどいなくなった今、多くの市民の記憶から消えた歴史について知って欲しいと思うようになった。「文寿堂事件は戦後の混沌した状況の中、真相もあやふやなまま終わっている。もし文寿堂が今も残っていたらこの地域の歴史が変わっていたかもしれない」と思いを馳せる原地さん。「できる限り今後も調査を続けていきたい」と語った。現在同書の冊子はなく、電子書籍(3百円)で閲覧できるほか、会社前に一部内容が掲示されている。
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