「土木事業者・吉田寅松」36 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
物騒な入札風景
奥羽線の建設工事は、入札による請負事業とし、奥羽北線の建設工事は、杉井組、橋本店、久米組、鹿島組、吉田組、太田組、佐藤工業、大倉組、大阪土木などが落札し、それぞれの工区を請け負った。
請負業者になるための入札競争は熾烈で、互いにしのぎを削っていた。入札現場には、入札を妨害しようとする刃物やピストルを持った金筋入りの渡り者(ギャングと呼ばれていた)たちが我が物顔にふるまっていた。請負業者やその代理人(代人)たちを脅迫したり監禁したり、作業現場にも潜り込んできて秩序を乱す者もいた。彼らは、吉田組などの請負業者に正式に雇われている職人たちとは異なり、工具を持ち額に汗して真面目に働こうとはしなかった。
腕ずくで仕事をとろうとする請負業者もいた。ギャングと呼ばれた金筋入りの男たちを巧みに陰で操縦している者もいた。入札当日には、夜が明けるやいなや荒くれ者たちが大勢集ってきて、要所要所に網を張り、入札人を待ち伏せして強請、誘拐、監禁、暴行などあらゆる手段を使って入札を妨害した。
不法行為が横行するなか、入札者たちはギャングたちの裏をかき、未明に入札所に行き、窓下などの物陰に身をひそめて入札時間を待ち、入札をすませると一目散に逃げ帰るようなことも多かった。
当時も談合のようなものもおこなわれてはいたが、談合金の授受分配ということはまだなかった。そのかわり関係者一同をそれなりの料亭に招待して大判振舞をしなければならなかった。
吉田組における寅松の代人として吉田組幹部中の双璧と称された中山慶助と後藤傳五郎が、それぞれ子飼いの作業員を抱えて、奥羽北線、南線の各現場を采配し、同業者たちとの間も調整していた。
中山の配下には、代人や作業員たちの間で一目おかれ尊敬されている熊谷という肝っ玉の太い、精悍無双の男がいた。熊谷が中山の代人として入札をするため秋田の旅館に泊まっていたとき、それを嗅ぎつけたギャングたちが押しかけ、熊谷を取りかこみさかんに脅迫した。初めは穏やかに応対していた熊谷も、彼らのあまりの傍若無人、執拗さに堪忍袋の緒を切り、目の前にあった炭が赤々と燃えさかる火鉢を抱えあげ、ギャングたちの群れへ投げつけた。これにはさすがのギャングたちも度肝を抜かれて、急におとなしくなったという。
無類の酒好きで一週間も料理屋に逗留して飲みつづけるという豪胆な熊谷は、部下の面倒もよく見る親方だった。部下たちは、ギャング連とはちがい、「親方のためなら、たとえ火の中、水の中」と、各地で請け負う土木工事の現場について行き、寝食をともにしながら、熊谷の手足となってはたらき作業効率を上げていった。
熊谷は後藤傳次郎の手足となり、後藤傳次郎や中山慶助が吉田寅松の手となり足となり、目となって、土木請負業吉田組は、奥羽北線の入札に参加し、数か所の工区を請け負った。
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