さがみはら中央区 スポーツ
公開日:2022.07.21
サッカー SC相模原・望月さんに聞く
僕も「代表」になれますか?
少年時代 「誰よりも」が自信に
子どもたちの夏休みが始まるにあたり今回、地元サッカークラブ・SC相模原代表の望月重良さんに少年時代の思い出などを聞いた。どのようにしたら「日本代表選手」になれるのか?保護者のサポートについてのアドバイスももらった。
清水市出身
望月さんは1973年7月、静岡県清水市(当時)で3人兄弟の3男として生まれた。
「静岡」というサッカーが盛んな環境で、当時は各小学校にサッカーチームがあったそう。望月さんは下の兄の影響で小学1年生のとき、地元の庵原少年サッカークラブ(当時)に入団。とにかくサッカーが好きで土日の練習、平日の練習、放課後のボール遊びとサッカー漬けの毎日を送っていたという。「それが中学、高校も続きました。家族と出かけるなどして休んだ記憶はほとんどないですね」
楽しさが原動力
当時の望月さんにとってのサッカーの楽しさは「点を取ること」だった。練習の成果が試合で出るとうれしく、出せないと悔しく。それぞれの理由でサッカーを続けることができたそう。「楽しいこと、上手くなりたいと思うこと。それはずっと変わりませんでした」。小学3年生のとき、清水市の選抜チームに選ばれた。小6のときには、中心選手として活躍し全国優勝をした。
足腰鍛えた登下校
どうやってそこまでの選手になったのか?望月さんに尋ねると、「誰よりも練習をしました。それが自信になりました」と答えた。チームでの練習が終わった後、個人で練習。自分なりの工夫を加えて繰り返したそう。また望月さんには、その練習に耐えられる強い身体があった。「小学生の当時、毎日1時間くらい歩いて登校していました。足腰を鍛えることにつながったかもしれません」
小中高で全国制覇
中学は地元の公立学校で、サッカー部に所属。東海地区の選抜チームに選ばれ、ここでも全国優勝を経験。高校はサッカーの名門、清水商業高等学校へ。全国からサッカーで上を目指す若者が集まるハイレベルな環境の中、1年でレギュラーに抜擢された。「監督はあまり自分を薦めなかったようですが、ブラジル人のコーチがいてその方が『使ってみたい』と言ってくれたよう。運が良かったですね」。高校でも全国優勝に貢献する。
両親の方針は
小・中・高と各所属チームで全国制覇を成し遂げた望月さん。このようなサッカー中心の青年期を両親はどう見守ったのか?望月さんによると「よく手が掛からない子だったと言われました。自分で勝手にやっていた。ただ、練習や試合の送り迎えなどで力になってくれていました」と振り返る。サッカーをはじめとする子どもの習い事について望月さんは「あくまでやるのは本人ですので。将来のことなど親が過度に期待をするのはよくないと思う」とし、「その点、自分の場合はプレッシャーもなく自由にやることができた」と成功の秘訣(?)を語った。
選出時の心境は
望月さんはその後、筑波大学に進学。Jリーガーとしては名古屋グランパスエイトなどで主力選手に。日本代表としても合計14試合に出場した。少年時代に憧れだったサッカー選手(当時Jリーグはまだ存在せず)、代表選手になれたことについて望月さんは「(契約したとき)特別うれしいといった気持ちはありませんでした。『なるもの』と思っていましたから」と笑顔で話した。
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