高尾山薬王院の総代(役員)は5人。その中から責任役員である「筆頭総代」が選ばれる。その存在は「貫首」と同じほどとも言われている。
株式会社まるき(平岡町)の代表、落合龍太郎さん(43)は、38歳で筆頭総代に就いた。異例の若さだったという。「それはきっと落合家の宿命なのだと思います」
稔さんが貢献
落合家は武田信玄の家来の末裔。もともと「穐山」姓だったが、高尾の落合地区に移住した事から、姓を「落合」に変更した。
代々熱心な「高尾山の信者」で、龍太郎さんの祖父、稔さん(八王子商工会議所元会頭)もそうだった。稔さんは10代で機屋を起こし、八王子織物の発展とともに会社を成長させたことから、20代で同院総代に。その後も多大な功績を残しそれらが認められ、60歳で落合家初の筆頭総代に就任した。
高尾山にとって「居なくてはならない存在」となった。亡くなったときには大山貫首から「今後高尾山を支えていくのは、落合家でないと難しい。先代の思いは、その子でないとわからないだろう」などと言われたほどだ。
「無謀」の声も
落合家の正月は必ず稔さんの高尾山についての話があるなど、龍太郎さんは幼い頃からその関わりを意識していた。
ただ、八王子を離れていた時期もあり、お山について深く学んだことはなかった。7、8年前のこと、父であり当時筆頭総代だった清さんの足が不自由になり付添で山に登った。そこで稔さんの代からの色々な話を聞き、初めて「宿命」を実感したそう。
2014年、清さんが他界し、龍太郎さんに筆頭総代の声がかかった。「ですが、それほど高尾山に貢献してきたわけではなかったので『無謀』という意見もあったようです」。それでも大山貫首らは龍太郎さんを支持した。「落合家だからいいんだ」(大山貫首)
龍太郎さんは生前、清さんから言われたことを思い出した。「仕事は継がなくてもいい。だが、高尾山のことだけはちゃんとやってくれ」。その言葉を胸に大山貫首に伝えた。「お役にたてることがあるなら、やらせていただきます」。落合家から3代続けての筆頭総代が誕生した。関係者は話す。「もちろん重圧はあるはず。貫首は龍太郎さんを鍛えるための試練を与えてくださったのだと思います」
講社の激減を危惧
筆頭総代は檀家、信者の代表でもある。高尾山が栄えていくため、お参りに来ていただくため、貢献していくのが使命だ。
「今の課題のひとつは講社参拝が減り続けていること」と龍太郎さんは話す。講元が亡くなり後継者がおらず解散したり、うまく運営がいかない所が増えているという。また高尾山が観光地として有名になりすぎたため、熱心な信者の足が遠のいてもいるそう。講社数は興隆期に500団体あったが現在は100程度とも言われている。
そんな中、龍太郎さんを講元とし17年、新しい講社「高尾山有喜講」が発足した。「今までお山に縁のなかった方らにも集まっていただいた。作って良かった」と喜ぶ。
神聖な場所として
「とにかく高尾山はあくまでも霊山です。観光地ですが、修験道の根本道場。高尾山に来たら、ぜひお寺(御本堂)に寄ってせめて手をあわせていただきたい。神聖なところと扱ってほしいですね」
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