横須賀・三浦 コラム
公開日:2025.08.08
三郎助を追う〜もうひとりのラストサムライ〜
第6回文・写真 藤野浩章
江戸幕府が始まって百年以上経ったところで登場した浦賀奉行所。
この役所は幕府の重要な直轄地を担当する「遠(おん)国(ごく )奉行」の1つで、幕末には長崎奉行を上回るトップの格式になった。それだけ、浦賀の重要性が高まっていったのだ。
奉行所の仕事は、激増していた江戸と各地を結ぶ海運を管理する「海の関所」の役割かと思いがちだが、実際は紛争の調停、税の徴収、治安維持など幅広い。警察と税務署と裁判所と海上保安庁が合わさったようなもので、幕末には防衛と外交も加わることになる。
さながら浦賀奉行は"浦賀藩"の殿様とも言えるが、その下には部課長クラスの与力が10名、係長役の同心が50名。業務量と比較して意外と少数精鋭な感じがするが、案の定、後のペリー来航後にはそれぞれ倍近くの人数になった。このチームで通常の行政を行いながら、異国船との外交交渉に挑んだのである。
その与力の報酬だが、当初は年に1人あたり米75俵だった。約4500kgに相当するが、これを各自で食料にしたほか、売って現金を得て生活していたという。
さて、この価値は今のいくらなのか?を算出するのは至難の技だが、参考値として貨幣博物館の簡易計算を用いると、年収3百万ちょっと。実際、多数の同居人を食べさせるのはなかなか大変だったようだ。そのせいか、幕府との間で賃上げ交渉が続き、開設から百年ほど経った頃には3割ほど増えたという。
幕府財政の悪化、物価の高騰、そして業務量の増加。そんな状況の中で、大坂では奉行所の元与力・大塩平八郎が反乱を起こす。三郎助16歳の時だった。
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