横須賀・三浦 コラム
公開日:2026.03.20
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第36回 文・写真 藤野浩章
「台場は、予が必ず一年以内に築いてみせる」
◇
才ある人には人が群がるということだろう。当時国内で最新の砲術、蘭学、軍学を持つ江川英龍(ひでたつ)の元には多くの人材が集った。
ジョン万次郎を重用し、幕末の思想家・佐久間象山(しょうざん)と交流し、明治政府でも活躍する大鳥圭介は江川が主宰する塾で出世の糸口を掴んでいる。後に陸軍の重鎮として首相を務める薩摩の黒田清隆も軍学を学んだ。これらを見ると、後の日本の守りを固める軍制は江川の考えが起点になっているとも言える。同じ幕臣でも後の身の振り方が大きく違う事も興味深いが、本人は徹底した海防論者だった。
そんな江川の影響を受けた中に笠間藩(茨城)出身の小野友五郎(ともごろう)がいる。彼はこの後、三郎助と深く交流することになるのだが、後に10歳年下の小栗上野介の腹心として活躍する。
さて、江川の元には人だけでなく仕事も殺到した。安政地震後の処理、プチャーチン一行のための「ヘダ号」建造、冒頭のセリフにあるような品川台場の築城・・・。どれも初めてのケースで、重要で、しかも急ぎのプロジェクト。その心労は半端なかっただろう。ついに病に倒れてしまう。
彼の元に、幕府は何十人も医師を派遣したという。しかしその甲斐なく安政2(1855)年1月に生涯を閉じる。"過労死"とも言える壮絶な最期。多くの人材を育てた55年の人生だった。
彼が手がけた韮山(にらやま)反射炉は地震で崩壊してしまうが、翌年、息子によりついに完成する。同じように、彼の構想は後輩たちによって次々に実現されていくことになる。
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